豊かな国の幼き子らよ 06

第六章 禁じられた書物

 爽太が感情を爆発させて中庭から逃げ出したため、テオと従者たちは「王宮の外へ出したり、ひとりにしたりすることはできないが、もう少し他の人とふれあう機会を与えたほうがいいだろう」と判断したようだ。
 オサナゴとして先輩ではあるものの、悩みが多く、さらに主の結婚を控えていっそうナーバスになっているアンディーと、この世界に来て半年もたたない新米のオサナゴである爽太は、その後、しばしばふたりですごすことになった。お互いに自分の主から「忙しいので、しばらく他のオサナゴと会っておいで」と言われて、中庭やら、どこかの部屋やらに連れていかれたのだ。
「爽太にも友達が必要だろうと思ってね」
 どうして急にアンディーと会わせてくれるようになったのか、爽太が尋ねると、テオはこう答えた。
「ケイナ様のほうが爽太にいろいろ教えてくれるだろうとは思ったんだけど、ケイナ様は陛下のオサナゴだからお忙しい。それに、もっと立場の近い者同士のほうが打ち解けられるかなと思ったんだ」
 そう言ってテオは微笑む。
「まぁ、そうかもしれないけど」
 あいづちを打ちながら、爽太は首をかしげた。悩めるオサナゴの影響を受けた爽太が、同じように悩み始めてしまう可能性は考えなかったのだろうか。

 そういうわけで、数日に一度、爽太はアンディーと一緒にすごした。
 ふたりで会話をすることもあれば、中庭をぶらぶらと歩くこともあった。アンディーはよく考えこんでいて、口数が少なくなる。そんな時は爽太も黙って、すぐそばでぼうっとしている。お互いにそれぞれが持参した本を読んでいることもある。
 一緒にいても余計な気を遣わずに済むのはありがたかった。これがテオだったら、きっと爽太のことをあれこれと構いたがって、こんなふうに放置してはくれまい。
 仲良くなりすぎるでもなく、かといって険悪になるわけでもなく、淡々と時をすごすふたりを見て、テオは「確かに爽太には、息抜きの時間が必要だったんだね」と喜んでいた。
 テオによれば、花の王子も喜んでいるらしい。それほど大げさに騒ぐことだろうか。確かに、お互いのことを気にせず、ぼうっとできる時間があるのはうれしかったが。

 そうしてしばらくアンディーと会っていた、ある日のことだった。
 その日のアンディーは、最初から爽太と会話をするつもりで来ていた。中庭に面している部屋へ通されたアンディーは、窓を開けてそこに座りこみ、中庭へ足を投げ出す。ひざの上には、持ってきた数冊の本をかかえて。
「爽太様も、おとなりにどうぞ」
 以前よりもだいぶ落ち着いた様子のアンディーに声をかけられ、爽太も同じように窓際へ腰を下ろす。従者たちはふたりの邪魔をしないよう、部屋には入らず、廊下で見張りに立っていた。

「……今日は、爽太様に本をお渡ししようと思って持ってきたのです」
 アンディーが話を切り出した。
「その本ですか? 全部?」
「いえ、本当にお渡しするのは一冊だけ……あとはカモフラージュです」
 声をひそめたアンディーは、ひざの上にかかえた本から意識をそらすかのように中庭を見つめている。
 従者たちに知られたくないことなのだと気づいた爽太も、本から目をそらす。

 遠くを見つめたまま、アンディーは語り始めた。
「……私がここへ来てまもない頃、陛下の妹にあたる方が、嫁ぎ先から里帰りをなさいました。もちろん、オサナゴも連れていらっしゃった。ヒルデガルド様というお名前でした」
 陛下の妹を主に持つオサナゴなので、ヒルデガルドも女性だ。少女のオサナゴに会ったのはそれが初めてでした、とアンディーは言う。
「ヒルデガルド様は王宮の図書室にも出入りを許されて、よくそこで本を読んでいたのだそうです。とても勉強熱心なオサナゴなのだと陛下が褒めていらした」
 しかし、ヒルデガルドは、ただの勉強熱心なオサナゴではなかったらしい。
 主が嫁ぐ前に王宮の図書室からこっそり持ち出した本を、里帰りの際、アンディーに託したのだ。

「……どうしてわざわざそんなことを?」
 爽太が尋ねると、アンディーは目を細めてかすかに笑った。何かをたくらんでいる顔で。
「ヒルデガルド様が持ち出した本は、禁書なのですよ。王族にとって都合の悪い内容が書かれた本です。あの方は、それを図書室の奥から見つけ出したようですね」
 なるほど、それでカモフラージュが必要なわけだ。爽太はどきどきしてきた。
「どういう本なんですか?」
 アンディーは思わせぶりに口を閉ざし、たっぷりと時間をおいて爽太をじりじりさせてから、ようやく答える。
「……王族とオサナゴの好ましくない歴史をまとめた本です。王族とうまくいかなかったオサナゴは、傾国のオサナゴだけじゃないって話ですよ」

 アンディーが持ってきた本は、コラナダの歴史や地理などに関する本だった。その中に一冊だけ、古代語で『コラナダ王家の子どもたち』と題された本が混じっている。それがオサナゴについて書かれた禁書だ。中身も古代語なので、王族たちにとっては読みづらいが、オサナゴにとっては普通にすらすらと読めるものだとアンディーは太鼓判を押した。
 いそいそと本を受け取り、爽太は自分の部屋へ戻った。他の真面目な本はカモフラージュのためにテーブルの上へ置いて、禁書は戸棚の中に隠す。テオがいない時に少しずつ読み進めよう。
 すぐに従者が迎えにきて、爽太は次の仕事へ向かうテオと合流する。従者から報告を聞いていたのか、テオは開口一番「アンディー様に本を借りたんだって?」と尋ねた。
「うん。歴史の本とか、地理の本とか」
「そうか。勉強熱心なのはいいことだよ。それに……アンディー様にとって、教え導くべき後輩ができたのはいいことだね」
 そう言って、何も知らないテオが微笑む。
 爽太も微笑みを返した。テオや従者たちに隠れて秘密を持つのは、とても楽しくて、わくわくすることだった。

 次の日、爽太は昼寝の時間を早めに切り上げてベッドを抜け出した。まだ眠っているテオが起きないよう、そっと自分の部屋へ行き、戸棚から取り出した禁書を開く。
 古代語で書かれていると聞いていたので、かなり古い本なのかと思っていたが、そうでもなさそうだった。さすがに新しい本ではないようだが、爽太が普段読んでいる歴史の本より少し古いという程度だ。それでも念のため、うっかり表紙がとれたりページが破れたりしないように、テーブルの上へ置いて、そっと取り扱う。
 本の序章は、オサナゴがいかに不思議な存在であるかという内容だった。王族の真名を呼び、王族の健康を左右し、主のあとを追うように死ぬ、永遠に幼い子ども。すでにテオや他のオサナゴたちから何度も言われたことなので、そこは適当に読み飛ばす。
 しかし、序章の最後のほうになって、にわかに不穏な文章が目につき始めた。

 オサナゴは他の誰にもできないことをやってのける。主である王族の真名を唯一呼ぶことができ、それによって主の長寿を約束する。実の親でも、伴侶でも、我が子であっても、オサナゴと同じことをできる存在は他にいない。主は結婚して子孫を残すが、オサナゴは一代限りであり、主の他に特定の誰かと関係を結ぶこともない。
 そのため、オサナゴは王族の強い執着の対象となり、複雑に絡まり合った双方の感情は、しばしばねじれた形で発露した。本書は、実際に起きたさまざまな出来事、公の場では語られることのない王族とオサナゴの暗い歴史をまとめたものである。

 爽太はどきどきしそうになる心臓を静めようと、胸に手をやる。
これだ。自分がずっと気になっていたのは、ずっと知りたいと思っていたのは、多分こういう話だ。

 それからというものの、爽太はいつものようにテオのあとをついてまわり、わからないことをノートに書きとめて教えてもらい、この国と王宮に関する知識を増やしながら、時間を見つけて少しずつ禁書を読み進めていった。
 この本は独特の作法で書かれていて、たとえば西暦や年号にあたるものは一切出てこなかった。「何代目の王の時代に、こういうことがあった」という書き方だったのだ。歴代の王族に配慮してか、固有名詞も出てこない。他の歴史書と照らし合わせないと、誰のことなのかはわからないようになっていた。
 たとえば、こんな具合だ。

 七代の王の世、二番目の王子はオサナゴを自室に監禁した。オサナゴの足首に重罪人のような足枷をはめて、そこから鎖で寝台につなぎ、廊下にも出そうとしなかった。この王子の寝室は、鎖でつながれたオサナゴがそのまま用を足しに行けるよう改造されており、オサナゴが湯浴みをする際は従者たちが湯の入ったたらいを寝室に持ってきて世話をした。
 この王子はオサナゴが自分のそばから離れていくことを非常に恐れており、病を患って死ぬ間際には、オサナゴの首を絞めて殺した。オサナゴの息が止まったのを確かめてから、王子自身も亡くなった。
 王子の強い希望により、オサナゴは王子の胸に抱かれる形をとって葬られた(通常、主とオサナゴは同じ墓にまとめて葬られるが、棺は別々になっている)。

 いきなりこんな話が出てきて、爽太が暗い気持ちになったのは言うまでもない。

 八代の王の世、三人の王子が王位を争い、国は乱れた。内乱の果てに王位についた九代の王は、息子たちが同じ争いを起こすのではないかと恐れ、自分が次期国王にと定めた王子とそのオサナゴを大切に守り育てた。その一方で、他の王子たちのオサナゴを次々に殺させた。王の血を引く家族同士で殺し合うよりも、オサナゴを殺すほうが罪が浅いと考えられたからである。オサナゴを失った王子たちの衰弱ぶりは激しく、ことごとく成人を待たずに亡くなった。
 先に亡くなったオサナゴは一時的に小さな墓へ埋葬された。主の王子たちを葬る際には、それを掘り起こし、改めてそれぞれの王子の亡骸と同じ墓に葬られた。以降、まれにオサナゴのほうが先に亡くなった場合は、同じ手順をとって葬られることになった。

 九代の王が息子たちに行った恐ろしい仕打ちは、オサナゴが王族の命綱であることをはっきりと世に知らしめた出来事だった。その後、王族同士の争いではしばしばオサナゴの命が狙われるようになり、主たちの手によってオサナゴは王宮の奥深くへ隠された。また、九代の王のオサナゴは発狂し、死ぬまで正気には戻らなかったと伝えられている。

 禁書のページをおさえていた指が、冷たくなって、なかなか戻らない。
 爽太は力の入らなくなった手で、どうにか本を閉じた。本を傷めないように気を遣ったものの、普段よりも荒っぽい閉じ方になってしまったかもしれない。

 オサナゴは主にとって、何よりも大事な相手だとテオは言った。
 でも、九代目の王は息子のオサナゴを殺したのだ。何人も。息子に直接手を下すよりは、オサナゴを殺したほうが「罪が浅い」から。
 自分の主が息子のオサナゴを殺させたと知って、この王のオサナゴはどんなことを思ったのだろう。発狂したと書かれているけれども、どんなふうにその後の生涯を送ったのか。
 重苦しいものを感じて胸をおさえながら、禁書を戸棚の中へ戻す。爽太の顔色がすぐれないのを見てとったテオにあれこれ聞かれたが、爽太はなんでもないと言い張った。

 その日はもう読むのをやめようと思ったのに、テオがいない時間を見つけて、また爽太は禁書を読んでしまった。怖い怖いと思いながらも、続きが気になって怪談を読んでしまう子どものように。

 三代の王の世、ひとりのオサナゴがすべての王子王女の真名を言い当てた。誰がそのオサナゴの主なのか判然とせず、王子王女は等しくそのオサナゴを求めた。しかし、当のオサナゴは誰のことも主に選ばなかった。

 爽太は知らず知らず前のめりになった。
 これはテオに聞いた昔話だ。傾国のオサナゴの話。

 オサナゴをめぐり、年長のふたりの王子は特に激しく対立した。そのオサナゴは自分ひとりだけの寝室を与えられていたが、王子たちは互いにオサナゴを自分の寝室へ引きずりこもうとあの手この手で誘いをかけ、さながら女を落とそうとする男のようだった。オサナゴを自分のものにするため、少しでもオサナゴとともにすごす時間を増やそうと考えてのことである。
 王女たちもオサナゴを求めたが、ふたりの王子があまりにもあからさまに争うので、恐れをなして手を引いた。とうとう王子のひとりがオサナゴにのしかかり、自分の真名を呼ぶように強要しながらオサナゴの顔や首や肩に噛みつくところを従者に目撃された。もうひとりの王子は、許されざる扱いをした王族にオサナゴを得る資格はないとして彼を糾弾し、一触即発の事態に発展した。
 王はオサナゴを呼び出し、主を選ぶようにと重ねて命じたが、オサナゴは誰のことも選ばなかった。翌日の朝に従者がオサナゴの寝室を訪れると誰もおらず、何日も何週間も王宮の内外で捜索が続けられたが、ついぞオサナゴが見つかることはなかった。

 どこか性的な気配の漂う描写に、爽太の体を寒気が走った。

 この世界に来てから(つまりオサナゴになってから)爽太の体にはその手の欲求が起こらない。テオも、オサナゴはそういうことをしてはいけないのだと言っていた。だからこそ、もうひとりの王子は「許されざる扱い」として糾弾したのかもしれない。
 そんなに昔から、オサナゴは性的な場面や恋愛と遠ざけておくものだと決まっていたのだろうか。
 でも、それならどうして主の閨に同席しなければいけないのだろう。

 それからほどなくして、すべての王子王女のオサナゴが次々に見つかり、めでたしめでたし……となるはずだったが、そうはいかなかった。
 ページをめくると「前のオサナゴにのしかかった王子が、次の王(四代目)になった」と書かれていたのだ。
 爽太は目を見開く。そんな問題を起こしたのに、どうして彼が王位を継承したのだ?

 四代の王は、王宮の増築を命じた。最初のオサナゴの失踪が、王の精神に深い影を落としたのだと言われており、神殿の図書室にも当時の記録が残っている。以下に引用する。
「王は、天が与えた幼き子を失ってしまうことがないよう、外部からの侵入者も、内部からの逃亡者も脱出できない迷宮を築いて、神聖な守護を施し、そこでオサナゴを守るべしと考えた。王は王宮の増築を命じ、オサナゴの逃亡を防ぐ呪文が練りこまれた模様をすべての部屋の壁にあしらい、オサナゴにも神聖な刺繍を施した衣服を着せるようにと定めた」

 爽太はぎょっとして、着ているワンピースの刺繍を見下ろした。
 顔を上げると、壁に描かれた色とりどりの模様が目に入る。

 傾国のオサナゴがいた頃は、この刺繍も模様もなかったのだ。

 怪しげなものがこめられた壁の模様とワンピースの刺繍、爽太がどこにいても見つけ出す発信器か何かを仕込まれたチョーカー。
 古くからのまじないと、新しいテクノロジーの両方が混じり合って、爽太を王宮から出さないように閉じこめている。

 これを読んだアンディーやヒルデガルドは、果たして何を感じたのだろうか。
「明日はお昼寝の前にアンディー様と会っておいで」とテオが言っていたことを思い出し、爽太は本を閉じた。

 翌日、昼寝の前に軽く散歩でもしてはどうかという口実で、爽太とアンディーは中庭に出された。テオも花の王子も、表向きはそういう理由をつけているだけで、実際のところはお互いのオサナゴを引き合わせて、多少なりとも息抜きをさせようというのが実際のところだ。
 相変わらずひとりになれないことも、王宮の外へ出られないことも爽太は不満だったが、アンディーと会うのは気分転換になるのでむしろ歓迎していた。従者が遠くから見守っているとはいえ、オサナゴ同士で息抜きできる機会は貴重だ。それを利用して、こっそり禁書を借りることさえできたのだから。
 おかげで爽太は別の悩みをかかえることになったのだが。

「あの本はいかがですか」
 昼下がりの温かな日差しを浴びて歩きながら、アンディーが言った。
 恐らく爽太よりも年上のはずなのだが、オサナゴなので彼は十歳前後の外見をしている。変声期前の声で、まだまだ幼さの残る顔立ちで、大人の言葉を話すのだ。それは爽太もケイナも同じことだった。
 頭ではわかっているのに、時折とても不思議な気持ちになる。大人の人格を持ちながら、性的なものはどこかへ置き去りにしてきた、アンバランスな子どもたち。
 ヒルデガルドは少女の外見をうまく利用して、禁書を盗み出すことに成功したのかもしれない。いつか会える日が来るだろうか。どんなふうに周囲の目をあざむいてやってのけたのか、話を聞いてみたい。なにしろ自分は図書室にさえ行ったこともないのだ。
 そんなことを考えながら爽太は口を開いた。
「傾国のオサナゴのところまでは読みました。あの……恐ろしい話がいっぱいですね」
「禁書という時点で、なんとなく予想がついていたでしょう」
 アンディーはにやりと笑う。何かをたくらんでいる子どもの顔だった。
「もっと怖い話が出てくるのですか?」
「さあ、それは読んでのお楽しみですから」

 爽太は歩きながら、さりげなく自分のチョーカーに手をやった。
「アンディー様、このチョーカーについて何かご存じですか?」
 爽太のペースに合わせてゆっくり歩きながら(といってもお互いに背格好や歩幅はあまり変わらないのだが)、アンディーがこちらを見る。
「何か、とは?」
「たとえば、GPSのようなものがついているとか」
「GPS?」
 ぽかんと聞き返したアンディーに、爽太ははっとした。もしかすると、アンディーがオサナゴになる前にいた元の世界では、GPSが一般的ではなかったのかもしれない。GPSが普及したのは何年前だっけ。
「えーと、僕も何の略称なのか知らずに遣っている言葉なんですが、衛星を利用して現在位置を特定するシステムです。GPSに対応した端末を持っていると、自分が今どこにいるのかわかるんですよ。地図を併用して道案内に使ったりするんです」
 あぁ、と得心のいった顔をして、アンディーは「わかりました」とうなずく。
「つまり、このチョーカーをしていると居場所がわかってしまうのではないか、という意味ですね」
「そ、そうです」
 首をぐるりとまわし、アンディーは空を見上げた。
 果たしてこの世界の空に軍事衛星などというものが飛んでいるのだろうか。GPSは本来、軍事用のものだったはずだ。この世界の科学技術がどこまで進んでいるのか、爽太にはよくわからない。
 緑色に輝く瞳で、アンディーがつぶやいた。
「……そうか。衛星を使えば、そういうことも可能なんですね」
「複数の衛星を使うんですよ。そのほうが精確な位置がわかるんだと思います」
「うーん、なるほど。衛星であれば、レーダーなんかよりよっぽど広範囲で位置がわかる……」
 ぶつぶつとつぶやく彼の視線は、空から離れない。爽太は尋ねてみた。
「……アンディー様、この世界には衛星があるんですか?」
「私も今それを知りたいと思っていたところです」
 小さくため息をつき、肩をすくめてアンディーはそう言った。

「衛星があるかどうかはわかりませんが、オサナゴのチョーカーに妙な仕掛けがしてあることは事実です」
 ようやく空を見上げることをやめ、再び中庭を歩き始めたアンディーが、緑色の瞳を伏せる。
「やっぱりそうなんですね。この前、僕がひとりでトイレに隠れていたら、すぐに見つかってしまったんですよ」
「そんなことを?」
 確かにトイレの他には個室がありませんね、と彼はうなずく。
「ここはプライバシーのない場所です」
「アンディー様もそう思いますよね。ここの人は何も思わないのかな……」
「きっとオサナゴを逃さないためだと思いますよ。我々が隠れる場所をつくりたくないんでしょうね」
 何気なくアンディーはそう言った。

 そこまでする必要があるのだろうか。
 居場所のわかるチョーカーをはめて、見守るという理由で常に従者が見張っていて、それでもまだ足りないのだろうか。王宮の増改築を続け、部屋に扉をつけず、王族たちのプライバシーも巻き添えにして。そこまでしなくても充分だろうに。

 なんだか同じことばかり、ぐるぐると考え続けているので、爽太はだんだん疲れてきた。
 ここ最近の爽太が考えていたことといえば、王宮を出たいのに出られないということ、ひとりになりたいのになれないということ、それから禁書で読んだ王族とオサナゴのゆがんだ歴史についてだ。オサナゴの不自由な身の上にも、オサナゴを自由にさせないために周りの人々が必死になっていることにも飽き飽きしていた。
 もっと他のことを考えたい。何か行動を起こしてみよう。

「あの、ありがとうございます」
 急に爽太が声を上げたので、アンディーは不思議そうにふり返る。
 爽太はなんとか自分の考えを言葉にまとめた。
「ええと、僕はここへ来てから、いろいろとうんざりしてたんですけど、このままじゃ気分が落ちこむ一方だなって気もしてるんです。お借りした本だけじゃなくて、他にももっといろんな本を読んで、周りの人をよく見て、どうやって生きのびたらいいのか、考えようと思います」
 アンディーは、ぱちくりとまばたきする。
「生きのび……る?」
「ちょっと大げさかな。でも、僕が元気になったら、テオ……水の王子や他の人たちも安心して、気がゆるむんじゃないかと思うんです。あせらずに少しずつ、自分がすごしやすいように動いていこうと思うんですよ」
 爽太は今でも自分の境遇に納得がいっていないし、嫌なことは嫌だと言って拒みたい。でも、今の状況では爽太が言えば言うほど強く反発されて、ますます自由から遠ざかるのではないかという気がした。
 だったらおとなしく現状を受け入れたふりをして、周りの人々を油断させて、積極的に知識や情報を集めたほうがいいのではないかと考えたのだ。禁書を盗み出したヒルデガルドのように。
 だって、うんざりし続けるのにも疲れてしまったから。

 急に爽太がそんなことを言い出したので、アンディーは完全に不意をつかれたらしい。
 緑色の瞳をもう一度まばたいた彼は、静かにつぶやいた。
「爽太様は、しっかりしていらっしゃいますね」
 その顔に、ぎこちない微笑みが浮かぶ。
「まるでヒルデガルド様のようだ」

 十一代の王の世、王女のオサナゴが自らの命を人質にとって自由を要求した。オサナゴは食事をとらず、王女の真名を呼ばず、王宮の外へ出してくれなければこのまま飢えて死ぬと決意を表明した。王女は嘆き悲しみ、その重い悲しみに加えて真名を呼ばれないことで体調を崩し、起き上がれなくなった。
 王の命令により、オサナゴには幻を見せる特別な薬が与えられた。オサナゴは自分がつかのまの自由を得たと思いこみ、再び食事をとって王女の真名を呼んだ。
 しかし、この薬は使えば使うほど健康を害するものであったため、オサナゴが数年たって再び自由を要求した際には使えなかった。オサナゴは従者におさえつけられ、王女に無理やり食事を与えられた。他の誰が食事を与えようとしてもオサナゴは拒み、吐き出したが、己の主である王女に向かって吐き出すことはできなかったためである。医者の治療の甲斐もあり、オサナゴは回復し、それからは二度と自由を要求することなく、別人のようにおとなしくなって生涯を終えた。

「この方法も駄目か」
 つぶやいて爽太はページをめくる。

 十二代の王の世、一番目の王子のオサナゴは非常に従順なオサナゴだった。しかし、あまりにも従順すぎて精神の均衡を崩した。オサナゴは常に王子の顔色をうかがい、まるで母親の愛情を独占したがる幼い子どものようにふるまった。王子が結婚した際には寝室で泣き続け、そのために王子と妃のあいだにはなかなか子どもが産まれなかった。

「こういうパターンもあるんだな」
 禁書だから、てっきり王族に反発したがるオサナゴの話ばかりなのかと思ったが、そうでもなかったらしい。オサナゴが王族に好意を持っていても、度が過ぎると今度は王族の結婚生活の妨げになるというわけだ。
 爽太は本を閉じて、戸棚に隠した。今度はノートを開く。そこには数時間前に書きこんだ文字が並んでいた。

  • コラナダや他の国についての知識を増やす
  • 図書室へ行く
  • 王宮の構造を少しずつ覚える

 自分の部屋の周辺がどんなふうになっているのか、ノートに簡単な地図も描きこんだ。似たような部屋がいっぱいあって、おまけにやたらと広すぎるので、王宮の内部構造を覚えるのは一朝一夕にいかないだろう。でも、二ヶ月近く暮らしていれば、さすがに一番近いトイレの場所や、朝食を食べる部屋への道のりは覚えている。
 テオの仕事に毎日同行しているのだから、その機会を逃さず、積極的に出かけて、迷宮のような王宮のどこに何があるのかを覚えていくのだ。

「爽太、おいで」
 となりの寝室からテオの声がした。爽太はノートとペンをこわきにかかえて、すぐにそちらへ向かう。
 国王と話しこんでいたテオが戻ってきたのだ。わずかな自由時間は終わった。
 従者がテオに耳打ちすると、テオはうれしそうに笑って爽太を抱きしめる。
「最近、俺がいない時もすごく熱心に勉強してるらしいね。えらいよ、爽太」
「……うん」
 敵をよく知ることが、戦いの基本だからね。
 おとなしくテオに抱きしめられて頭をなでられたまま、爽太は心の中でそう返事をした。

[第六章 完]