世界は砂色の墓標

 僕はもう自分の名前を忘れてしまった。
 だから出せない手紙のように、ただ言葉だけをここに刻もう。
 名前さえも忘れてしまうほど、僕はずっと砂色の墓の中にいる。
 生きたまま。

 砂色の世界で彼女の興味をひくために、僕は魔法の力をふるう。
 幻影の日差しで広間を照らし、朽ちかけた玉座をヒスイで飾る。そうしている間は、彼女の目が虚空をさまようことはない。僕のそばへやって来る。声を聞かせてくれさえもする。
 ひたひたと足音がこだました。彼女が魔法の気配をかぎつけて近くへ寄ってきたのだ。
「今度はなぁに?」
「見て、きれいだろ。ヒスイは好き?」
「きれいね」
 彼女は風のようにふわりと玉座へ腰かけた。
 僕がどんなものを出してみせても、何を聞いても、彼女が好きだと答えたことは一度もない。
 ただ、きれいね、と言うだけ。
 その言葉すら僕はめったに聞かせてもらえない。長い長い時間のほとんどを、彼女は僕から離れたところでふらふらと歩き回って過ごしているからだ。
 ここはとても広くて、でもここからは出られない。だから彼女は僕が魔法を使えばすぐにやって来る。退屈しのぎのために。僕の見せるものを好きだと言うことはないけれど、きれいね、と声を聞かせてくれる。
 でも僕の目は絶対に見ない。

 王様には何十人もの子どもがいて、僕はそのひとりだった。
 王様は多くの女と交わり、多くの血を残す。でも残しすぎてはいけない。争いを生むから。増えすぎた血を減らすため、王国の安泰を願って、王様は我が子の血を流す。
 王様が僕を選び、神官の手にゆだねた。
「神々のために我が子を捧げる王を、神々は求めておられる。この子を人柱に」

 神殿の奥深く封じられたそれは、王国に恵みと災厄をもたらす神々がつかわした魔物だという。古代の王宮だったという巨大な墓の扉を開き、王様は神官とともに儀式を行い、僕に魔物を食わせ、墓に封じこめた。
 それから僕は終わらない悪夢のように、ただずっと広い墓の中で生き続けている。この身の内に魔物を飼い、その魔法で退屈をしのぎながら、いつ果てるともしれない永劫の時を。

 僕を人柱にすると定めた時、王様がたずねた。
「お前はわしとこの国のために、その身を神々に捧げて死ぬ。その尊いお役目に免じて、ひとつだけ望みをかなえてやろう。何か望みはあるか」
 そして僕はこう答えてしまった。
「神官の末娘を僕に下さい。僕と一緒に閉じこめてほしいのです。ひとりは淋しいから」

 人柱の望みをくつがえすことは誰にもできない。泣き叫ぶ末娘は僕と一緒に封じられた。
 泣き疲れて気を失ってしまった彼女の口に、僕は自分の血を飲ませ、自分の中の魔物を彼女に移してやった。それからずっと彼女は僕とともに生き続けている。僕の目を見ようとしないまま。

 墓の中には数多くの部屋があって、広間には玉座がしつらえてある。その玉座も朽ちかけて、どれだけの時がたったのか誰にもわからない。
 魔法の力でヒスイを飾った玉座に彼女が腰を下ろす。
 僕はぐるりと玉座の周りを回ってみた。後ろに行くと、彼女の白い首筋がそこだけ浮き上がったようにぼんやりと光って見える。
「ヒスイの首飾りがあれば似合いそうだね」
 僕は声をかける。まるで恋人のように。
「でも、首飾りをかけても私には見えないわ」
「あとで鏡も一緒に出してあげるよ」
 後ろからそっと手を伸ばし、彼女に目隠しをする。僕を見ないその目を隠す。彼女は抵抗しない。笑いもしない。ただ石像のようにじっとしている。
 身をかがめて白い首筋に口づける。この世界でただひとりだけ、ぬくもりをもった肌に。
「早く殺して」
 彼女が押し殺した声でささやいた。
「もうこんなところで、いきていたくない。はやくころして」
「嫌だよ」
 僕はゆっくりと両手をまわして彼女を抱きしめた。
「だって僕にはきみしかいないのに」

 この砂色の墓は、かつて王国をつくった神々の住まう王宮だったという。人ならぬ者たちが寝起きし、生まれたばかりの王国を導いた場所。やがて魔物を封じた神々が肉の体を捨てて天界へ去り、王宮は閉ざされた聖地となった。
 今はそこに人ならぬ者となった僕が、神々へ捧げる人柱として封じられ、彼女とともに、いつ来るともしれない死を待っている。

 砂色の世界に、さらさらと水のせせらぎが歌う。
 何もないこの場所で時をすごしているうちに、僕は多くのものを魔法でつくりだせるようになった。足元に青々とした草を敷きつめ、泉のせせらぎを呼びだす。冷たく硬く透き通った氷の破片のようなものをつくって、それを一枚ずつ重ね合わせて花をつくり、泉に浮かべた。
 彼女がやって来る。ひたひたとした足音のかわりに、草を踏みしめる小さな振動が聞こえた。
「すごいわね。まるで庭にいるみたい」
「庭だよ」
 手をふれば、指先から光とともに小鳥がはばたく。
「僕たちの庭だもの」
「これは何の花?」
 彼女はしゃがみこんで泉に手をひたし、透き通った花を拾いあげた。
「氷の花みたいだろ。一枚ずつ花びらをくっつけてつくったんだ」
「きれいね。遠い国から運ばれてきた宝物みたい」
 彼女の手の中で、幻影の日差しを受けて花がきらめく。

 ふいに彼女は立ちあがり、花を投げだした。
「どうして私をこんな目にあわせたの」
「父上が望みをかなえてやろうとおっしゃったから」
「なぜ私をここへ閉じこめさせたの」
 何度も吐いたその言葉をつむぐ声は、静かで激しい。
 泉の水面で、投げだされた花がゆらいだ。
「お城にはいくらでも奴隷がいたはずよ。そっちのほうがよっぽどあなたにはなじみがあったでしょうに」
「僕が人柱になる前の年に、きみは巫女としてお城のお祭りに来たんだよ。その時に見たんだ」
 神官の末の娘です、と従者が教えてくれた。
 僕は彼女が来て去るまで、ずっと彼女のことだけを目で追いかけていた。その白い肌と、僕がいることに気づかなかったまなざしを。
「お城になど行かなければよかった。そうすればあなたの目にとまることもなかったのに」
「その時はきっと別のところできみを見つけていたよ」
 もう何度、同じ会話をくり返しただろう。
 彼女は怒りも悲しみも通り越して無表情な目で僕をにらみつけ、あとずさる。こんな時しか彼女は僕と目を合わさない。
「僕のことが好き?」
「嫌いよ」
「きみにはもう僕しかいないのに」
「嫌い」
「僕はきみしかいらないのに」
 偽りの風がそよいで、僕の手から無数の蝶がはばたいた。
「嫌!」
 彼女が叫んで逃げていく。蝶の群れがそれを追いかける。僕は追わずに彼女の背中を見送った。彼女が僕から逃げられないとわかっているから。

 僕がゆっくり歩いていくと、彼女は広間のすみにある地下への入口の前に立っていた。
 広間の地下には闇の底に沈んだ迷宮が広がっている。時折、ざわめきのような音や泣き声が聞こえてくるので、さすがの僕も不気味に思えて、めったに地下へは入らない。
 近づいてくる僕をふり返った彼女の顔にこう書いてあった。来ないで。
「地下に行くの?」
「放っておいて」
「明かりをつけてあげようか。蝶が光を運んでくれるよ」
 地下から泣き声が聞こえた。
 彼女はびくりと肩をふるわせて、地下への入口から身をひるがえし、広間から走り去った。僕は彼女が立っていたところにたたずんで指をかざし、ぼんやりと光を放つ蝶を何羽か闇の底に飛ばせた。
 地下の迷宮には、神々が地上から去った時に殉死した奴隷たちが眠っている。遺体はとっくに朽ち果てて破片になっているのに、遺体がつけていたまじないの仮面はまだ生きていて泣き声をあげるのだ。
 地下へと至る階段には、砕かれた石の日時計がいくつも転がっている。
 僕は思わずつぶやいた。
「こんなところに逃げようとしなくてもよかったのに」

 ここにいる限り、僕から逃げられやしないのに。

 何か落ちて砕ける音が静寂を破った。
 朽ちかけた玉座でうたたねをしていた僕は、はね起きて叫んだ。
「どこにいるの」
 彼女の姿が見えない。
 僕は指先から小鳥を放った。白い小鳥はさえずりとともに広間を飛びだす。白い小鳥を追っていくと、彼女が倒れているのを見つけた。そばには砂色の小石の破片が落ちている。
 近づいた僕は息をのんだ。彼女の顔に日の光が差している。僕のつくったものではない、本物の光。見上げると、柱近くの天井の一部が落ちて小さな穴があき、そこから光が差しこんでいた。
「本物の日の光よ」
 倒れこんだまま彼女がつぶやく。
「ずっと探していたの。この時を待っていたの」
 わずかな日の光を浴びているだけだというのに、彼女の顔はどんどん血の気を失って、その声は弱々しくなっていく。
「お父様が教えて下さったわ。魔物を食べた人間は、日の光に耐えられないと」
 神官の末娘は目を閉じてかすかに微笑んだ。
「ここから出られないのなら、こうして自分で死ぬまでよ……」
「僕が許すとでも思ったの?」
 自分も日差しに当たらないよう気をつけながら僕は彼女の体を引きずり、彼女を日の当たる場所から遠ざけた。
「やめて、放っておいて、やめて、やめて」
 彼女はうわごとのようにつぶやきながら、僕に引きずられていく。
「嫌だよ、きみがいなくなるなんて」
 白い小鳥が彼女の周りを飛びまわる。僕は片手で捕まえてその翼をむしりとった。白い羽根は舞いながら床へ落ちる前に消えていく。翼をもがれた小鳥は床に落ちて散らばった。

 彼女を引きずって広間に連れこむと、彼女は目を開けて僕の行く先を見た。
「私をどうするつもり」
「地下に閉じこめるよ。絶対に日差しが届かないように」
 逃げられないように。
「やめて、あんなところに閉じこめないで」
 僕は彼女の顔をのぞきこんで微笑んだ。
「大丈夫、僕も一緒に行くから」
「行きたくない」
「ずっと一緒にいるよ。きみが日差しに殺されたら嫌だもの」
 彼女は引きずられたまま首をふる。
「私はそうしたいの。ここにいたくない。あなたの顔も見たくない」
 彼女を引きずったまま抱きしめて、僕は笑う。
「本当にわからないの? きみは僕から逃げられないんだよ」

 僕は彼女の手首をつかんだまま、地下の迷宮に下りて、泣き声をあげる仮面をひとつ残らず日時計の破片で砕いた。
 そして静寂に沈む地下の入口を閉ざした。

 指先に光を放つ蝶をとまらせて、迷宮の闇を照らす。彼女の白い首筋がほのかに浮かび上がる。僕は光と闇のはざまからヒスイのつらなる首飾りをつくりだし、彼女の首にかけて結んだ。
「ほら、見える? とてもきれいだよ」
 彼女は何も見ない。
 僕が闇の中でしか映らない鏡をつくって彼女の姿を映してみせても、光の蝶で彼女の体を飾っても、白い首筋をなでても、彼女は何も見ない。何も言わない。
 何も見ず何も言わない彼女を腕の中に抱いて僕は眠る。彼女が離れようとするたびに腕の中へ引き戻し、抱きしめて僕は眠る。

 僕はもう自分の名前を忘れてしまった。彼女の名前も忘れてしまった。これほど愛しているのに。
 名前もわからない王の息子が、名前もわからない神官の娘とともに、ここに眠る。この墓にはそう刻めばいい。いつ死ねるのか僕にもわからないけれど。
 僕には彼女しかいないのだと、僕が彼女を望んだからずっと一緒にいるのだと、愛の言葉を刻むのだ。

 砂色の世界は、僕と彼女の墓標だと。

[完]

作品情報

谷山浩子の「王国」という歌をモチーフにした小説。
(歌詞の引用は行っていません)

2009年発行の同人誌『谷山浩子ファンブック 光の中は闇 Vol.1』に収録。
2013年、Amazon Kindleストアで販売した小説『歪んだ王国に生まれなかった私たち』に収録。
(現在は販売終了しました)

ブログへ再掲するにあたって、若干修正しました。