放浪の巫女と狼 09【完】

第四章 狼の巫女

 辺境の巫女カノーイから、誰よりも親しき友、ミライノに。

 丘のかなたで、君はどうしているだろうか。私もすぐにそばへ行くつもりだったのだが、思ったよりも長く生きてしまっていて、まだそこへたどりつけずにいる。神殿を離れて久しいが、君と会えるのはもうしばらく先になりそうだ。
 君が私に託した少年は、大人になり、今も私のそばにいる。私を守るために狼となって、ともにさすらいの日々を送ってきた。ヤナンを私に与えてくれてありがとう。私はもう孤独を感じない。私を守るために育てられたのだとヤナンは言っていた。狩りへ出る彼を見るたびに、君のことを思い出している。君が仕込んだ見事な腕前だ。

 君が言った通り、ヤナンはカシナ族の人間だった。狼だったと言ってもいいかもしれない。あのお方から私を守ろうとして狼になった。彼の思いには答えられないと告げたのだが、それでも彼は私から離れなかった。
 私は男でも女でもなく、子どもを持って家庭を築くことはできない。神殿に住まう者だった君にはわかるだろうか。ヤナンが異性に対する愛を私に捧げようとした時、どんな気持ちで私が拒んだか。私は巫女として選ばれ、巫女として百年を生きた。清らかであるべしと念じて孤独とともにあった。誰もこの腕に抱くことなく、誰の腕にも抱かれることなく。
 だが、ヤナンはあきらめなかった。人間の男の姿をとるかわりに、狼の姿となって私に従い、甘えてくる犬のようにふるまい、少しずつ私の態度をやわらげていった。私がどこにいても必ず見つけた。そうして昼となく夜となく寄り添ううちに、今や彼は私の一部となった。

 私はあのお方を拒んだのに、なぜヤナンのことを許したのか。最初は自分でもわからなかった。
 だが、今ならわかる。あのお方は最後まで末の王子だった。王家の立場を背負って政をなさることもなく、天の加護を願って神殿を敬うこともなく、その地位に飽いて、ただご自分の欲望を満たすために生きていらっしゃった。王家の身分を捨てて神官となられたのも、あのお方にとっては面白い遊びであったのだろう。だから、あのお方はご自分の好きなようにふるまおうとなさったし、私が従わないことでお怒りだった。私のことを巫女とも思っていらっしゃらなかったし、ご自分のお気持ちが満たされればそれでいいと思っていらした。
 ヤナンは私のことをずっと案じていた。あのお方のように私を狙うのではなく、ただ、ともに放浪の道を選んだ。あのお方のように、ヤナンから異性への愛を捧げられて、私がどれだけ驚き、恐れたことだろう。だが、そんな私を刺激しないよう、襲われるのではないかという恐怖を与えないよう、男の姿を封じて狼となったまま、ヤナンは私を守り続けてくれた。いつしか私が心を許し、彼が私の中に住み着くまでに。

 こうなることを、君はわかっていたのだろうか。
 丘のかなたへ行ったら、その答えを君に聞けるだろう。ヤナンと三人で、ありし日の思い出話に花を咲かせるのも悪くはあるまい。君が育てた忠実な狼とともに、その時が訪れるのを待っている。

[第四章 完]

終章 もうひとつの伝承

 大昔、この地には人食い狼が棲んでいて、人々を恐怖で支配していた。
 そこへ最初の巫女が現れて、聖なる力で人食い狼を追い払い、人々に平和な国土をもたらした。巫女は王家に聖なる力の守護を与え、一昼夜で都に神殿を築き、その奥深くで祈り続けた。やがて国は栄え、王家は新たな都市に王宮を築き、そこを王都とした。かつての都があった場所は旧都と呼ばれ、神殿を中心とする祭礼の都市となった。
 最初の巫女は処女だったが、領土の拡大とともに人々の身分が安定していくにつれ、巫女は貴族の男子たちの中から選ばれるようになっていった。彼らは去勢され、肌の露出が少ない女性向けの衣をまとい、神殿の中で長い一生を終えた。

 それから何百年もの時がたち、ひとりの巫女が旧都から旅に出た。志高き巫女の名はカノーイ。庶民の女子として生まれたが、天に選ばれた者であることがわかり、巫女となった。旅に出たカノーイは粗末な衣に身を包み、野宿もためらわず、神殿を詣でることがかなわぬ貧しい人々のために、辺境の地をめぐり、祈りを捧げた。
 やがて、カノーイの聖なる力につき従う獣が現れた。人の背丈よりも大きな狼で、夜は自ら夜具となって巫女を風雨や寒さから守った。人々は狼を恐れたが、カノーイは狼を恐れず、誰よりも忠実な従者とした。
 ある時、カノーイが神殿へ戻ると、「邪悪な者」が巫女の清浄さを汚そうとした。神殿の住人でありながら、天をも恐れぬ行いに及ぼうとしたのは、王家を追放された神官であったとも、カノーイに懸想していた「神の兵」であったともいう。
 しかし、狼が邪悪な者に牙の一撃を食らわせ、一陣の風となって巫女を隠してしまった。神殿は巫女を汚そうとした天罰を受け、落雷によって炎に包まれた。畏怖の念に打たれた人々は、許しを請うてカノーイを探し求めたが、狼を従えた放浪の巫女が戻ってくることは二度となかった。

 この伝承で「邪悪な者」とされた男について、王家は「神の兵」説を強く支持している。ただ、「邪悪な者」が狼に殺された直後、王宮では王妃のひとりが病に伏した。当時の国王は神殿が火災の爪痕から復旧するのを待たず、多くの巫女を王都へ呼び寄せて贖罪の儀式を行っており、これは「邪悪な者」が王家の出身だったからではないかと言われている。
(贖罪の儀式は、罪を犯した者の償いであるとともに、縁者に天罰が下されぬよう祈る儀式である。王家の人間が亡くなった際、葬儀に先立って行われることが多い)

 神殿はカノーイ探索のため「神の兵」を辺境の地へ派遣した。その背後には王家の強い要請もあったという。だが、志高き巫女、狼が従うほどの力を持った巫女を、辺境の人々は畏れ敬い、「神の兵」たちの目から隠した。カノーイは村々のはずれに滞在し、狼と生活をともにしながら辺境を放浪して、最後は北の山脈へと姿を消した。
 辺境の村々には、神殿から姿を隠した巫女カノーイの後日談が伝わっており、中には本当にカノーイが滞在していたのか疑わしいものもある。いくつかの後日談は、語り手の宣誓から始まる記録が神殿の図書室に残っている。中でも特に古いのが、流しの職人ヴェシックの記録で、神殿での事件後、もっとも早い目撃談である(ただしヴェシック自身はカノーイを見ていない)。また、次の国王の代になってからは、農婦カルナリエの記録が新たに加わった。年老いて旧都を詣でたこの女性は、巫女カノーイの壁画が神殿に描かれることを知り、神殿の書記官の前で幼い頃の記憶を語ったという。

 一部の人々にとって、カノーイの出自が庶民の女子であったことは、天に選ばれた巫女であったことを示すひとつの啓示とされた。「性別のない者」として生まれた庶民の子どもは、働き手を失いたくない家族によってその事実を伏せられ、結婚せずに働き続けることが多かったが、カノーイの伝承が広く知れ渡ってからは、神殿に報告が上がるようになった。
 その結果、女子として生まれた何人かの庶民の子どもが巫女となり、神殿に新しい風をもたらした。ほとんど神殿から出ることのない巫女たちは外の世界に疎く、王家の安寧と繁栄だけを祈っていればよいと考えがちだった。だが、その後の巫女たちは今までよりも神殿の外へ目を向けるようになり、市井の人々の平穏を祈る儀式が増えたという。

[放浪の巫女と狼 完]

作品情報

2014年、Amazon Kindleストアで販売していた小説『放浪の巫女と狼』収録の作品。
(現在は販売終了しました)

当初は誰にも見せる予定がなく、自分で読むために書いていました。
犬子蓮木さんから「読みたい」と声をかけていただいたことがきっかけでリリースできました。ありがとうございます。
(当時、犬子さんにはAmazon Kindleストアでの紹介文も書いていただきました)