放浪の巫女と狼 02

第一章 放浪の巫女(2)

 巫女はたいてい死ぬまで神殿から出ないものだ。神殿の住人となった者たちは、俗世の人間のようには年をとらない。ミライノのように「神の兵」となった者は、死ぬ直前まで強く若々しい姿を保つ。ましてや、「神の兵」よりも神殿の奥深くに住まう巫女は、神殿の聖なる力を強く浴びて、俗世から切り離されてしまう。若い姿のまま、百年以上を生きる。
 だから、私のように神殿を離れて二十年も放浪する巫女には、よほど大きな問題があるのだ。
 ヤナンのように出自のわからない少年を嫌がって、雇いたがらない者は大勢いるだろう。でも、私とともに行動することが、彼のためになるとは思えなかった。
 いずれ、ヤナンの居場所を見つけてやらねばならない。ずっと彼とともに旅をするわけにはいかないのだ。そう心に決めて、ため息をつく。少年は一言も口をきかず、静かに私の後ろを歩いていた。

 街道のわきに宿屋を見つけて部屋を借りた。ヤナンと同じく、私もほとんど荷物はない。背負っていた袋を下ろし、湯を張った桶で足を洗っていると、初めてヤナンが自分から口を開いた。
「カノーイ様は、故郷へ帰られるのですか」
「いいや」
 ちらりと見上げると、ヤナンは何を考えているのかわからない表情で、窓際におとなしく座って、黄色い目をまっすぐ私に向けていた。
「帰るべき故郷は、もうない。私の両親も弟妹も皆とっくに死んでいるよ。巫女は長生きだからな」
 それに、巫女が帰郷したところで、できることなど何もないのだ。神殿の中で暮らしてきて、商売も農作業もしたことがないのだから。
「では、どちらへ向かわれているのですか」
「ずっと遠くだ。国の辺境を転々としている……お前を道連れにはしないよ。ちゃんとどこかでお前が働く場所を見つけよう」
 ヤナンはびくりと肩をゆらした。
「私は、カノーイ様についていきます」
 桶から足を上げると、ぱしゃ、とかすかな水音がした。洗い終えた足を布でぬぐう。どう言うべきかと少し考えたあと、私はなるべくゆっくり答えた。
「私とともにいても、お前のためにはならない。普段は野宿だ。私は巫女だからあまりものを食べなくても生きていけるが、お前はちがう。他の人々とともに働いて、人々の中で生きていくべきだ」
「食べ物ならば自分で見つけます。ミライノ様から、狩りの仕方も、身の守り方も教わりました。狩りのための弓も持っています。足手まといにはなりません」
 必死に食い下がる少年の様子に、彼は唯一の保護者だったミライノを失ったばかりなのだと思い出した。そういえば、私はまだ一度も彼の笑顔を見ていなかった。少し胸が痛んだ。当分は、一緒に連れていった方がいいかもしれない。彼がもう少し大きくなるまで。
「ヤナン、お前は今いくつだ」
 そう、彼の年齢すら聞いていなかった。
「十三です」
「そうか……すまない、酷なことを言った。お前が私との野宿に耐えられるなら、ともに連れていこう」
「明日から野宿でかまいません」
「……わかった。さあ、お前も湯を使いなさい。足が汚れただろう」
 つかのま、少年は泣き出しそうに見えたが、黄色い目を伏せて立ち上がった。

 それから私とヤナンは、放浪の日々を過ごした。
 神殿から遠く離れて、川の水を飲み、木の実や野草を煮炊きし、木陰で眠った。数日に一度はヤナンが鳥や獣を狩った。私はめったに肉を食べなかったし、何よりも肉を必要としているのは育ち盛りの少年の方だったが、それでもヤナンは毎回必ず私に肉を味見するかどうか尋ねた。
 彼は恐ろしく無口な少年だった。私もめったに口を開かなかったので、互いの足音と、風の音や鳥の声だけを聞きながら歩き続けた。
 たまに辺境の村へ立ち寄って、村の広場で聖なる歌を歌い、祈りの舞いを舞って、村の食べ物や衣服を得た。そんな時には、ヤナンは狩りや料理に使う腰の刀を抱き寄せて、どの村人たちよりも前に出て、広場の真ん中で歌い踊る私をじっと見守っている。まるで小さな従者のようだった。

 何ヶ月も旅をするうちに、ヤナンの灰色の髪は少しずつ伸びた。ある日、私が自分の髪をほどいて髪留めの紐を渡そうとすると、彼は強く抵抗した。
「いけません、カノーイ様はどうなさるのですか」
「どうもしない。新しい紐が手に入るまで、しばらくこのままにしておけばいいだろう。少し邪魔だが……」
 風にあおられた長い黒髪が視界を隠し、ヤナンの顔を見えなくする。
「いいえ、髪留めの紐はそのままお使い下さい。私は何か別のものを探しますから」
「ならばこれを」
 私は手首にぐるぐると巻きつけていた革紐をはずして、彼に渡した。
「昔、ミライノが使っていた紐だ。神殿のまじないをかけてあるから切れにくい。あと十年はもつだろう。髪留めには少し長いかもしれないが」
 わずかに目を見開いて、ヤナンは両手で革紐を受け取った。
「ミライノ様の……」
「神殿の儀式で、彼は守護石をこの革紐で首にかけて、闘いの舞いを舞ったのだよ」
 胸元で輝く守護石と、ぴかぴかに磨いた刃の冷たいきらめき。「神の兵」が勇壮な舞いを踊る。広場の端では楽器を持った巫女が並んで座り、胸を引き裂くような旋律を奏でる。私と他の巫女たちは、一段高いところで祈りの舞いを捧げ続ける。
 神殿という閉ざされた世界の中で、妻子を持つことを許されない「神の兵」と、性別を持たない巫女は、互いの境遇を相憐れみ、親しくなる者同士も多かった。もちろん、それ以上の関係になることは禁忌だったが。
 私を助けてくれたミライノ。
 彼はもう、この世にはいないのだろうか。
 死期を悟ったミライノは、神殿の技を使い、どこにいるかもわからない私に宛てて便りをよこした。鳥から鳥へと伝えられた便りは、辺境を歩いていた私に彼のわずかな余生を教えた。急いで旧都を訪れた私に、彼はヤナンを託した。
 でも、彼の他には親しい巫女も「神の兵」もいない。ミライノがどうなったのか、私に便りをよこす者はもう、いないのだ。
 私が物思いにふけっているうちに、ヤナンは多少もたつきながら革紐で髪を束ねた。
「おかしくありませんか」
 ミライノが育てた少年を眺めて、私は微笑んだ。肩を越え始めた長さの髪を、革紐でうまくまとめてある。
「大丈夫だ。お前は器用だな」
「革紐をありがとうございます、カノーイ様」
 ヤナンも珍しく、かすかな笑みを浮かべた。

「巫女様が、こんなところまで来て下さるとは」
「あぁ、ありがたい。どうかこの村のために、豊かな実りのために祈って下さいませ」
 辺境の村に立ち寄ると、人々が次から次へとやって来る。どこの村にも神殿を模した小さな祠があり、幼い子どもたちに巫女の真似をさせて祭りを行っている。だが、ほとんどの村人は遠く離れた旧都の神殿へ詣でる余裕がなく、本物の巫女を見たことがない。神殿から来た巫女を見ようと集まった人々は、村の広場を掃き清め、私に祈りの舞いを求める。
 そんな時、ヤナンは黙ったまま、私にぴたりとくっついて、集まる村人たちを見上げているのだ。
「巫女様にくっついている子どもは誰だい」
「なんでも巫女様の従者なんだと」
「黄色い目だねぇ、どこの子どもだろう」
「神殿におったら、誰でもあんな目になるのかい」
「馬鹿だな、巫女様は俺たちと同じ目をしていなさるじゃないか」
「巫女様の従者は特別なんだね」
「笑わない子どもだなぁ」
「きっと巫女様を守るために一生懸命なのさ」
 よその土地の話に疎い村人たちは、ヤナンを眺めて口々にそう言った。少年は表情ひとつ変えない。彼に荷物を預けると、私は広場に歩を進める。村人たちは急に押し黙って、私の一挙手一投足に視線をこらした。祈りの舞いが始まり、私の動きひとつひとつが、その場の空気を支配する。

「お前はいつも、村へ行くと何も言わないのだな」
 一夜明けて、村を離れた私は、ふたりきりになったあたりで声をかけた。少年はきらめく黄玉にも似たまなざしを私に向ける。
「何か言わねばならないでしょうか」
「いや、言いたいことがないのなら、何も言わなくていいのだが」
 無口な少年は、すっと目をそらして前を向いた。
「……私が余計な口をきけば、カノーイ様にご迷惑をかけますから」
 ふと、彼が見た目よりもずっと幼いように思えて、私は彼の頭をなでてやりたいとすら感じた。いつも私のことを気にかけている少年。私と同じ速さで歩き、野宿をした朝は私よりも早く起きて火をおこし、狩りで得た獲物を自分よりも私に食べさせようとする。ミライノに彼を託された時は困惑したが、今はそんなことすら忘れていた。
「何を言う。お前に迷惑をかけられたことなど一度もない。むしろ私の方が助けられているのに」
 ヤナンは前を向いたまま、少し小さな声で、つぶやくように「ありがとうございます」と答えた。

 その日の野宿の場所を定め、焚き火を囲んで座り、村人から持たされたパンを取り出しながら、ふと私はヤナンに話しかけた。
「そういえば、以前、私が髪留めの紐を渡そうとした時、お前はひどく嫌がったな」
 ヤナンは小さな鍋で湯を沸かしながら、ちらりと私を見る。
「……はい」
「遠慮せずによいものを」
「いいえ、私が受け取れば、カノーイ様の髪がほどけてしまいますから」
 ミライノの革紐で髪を束ねた少年は、かたくなにそう言いはった。
「ただ放浪しているだけの旅だ。風で髪を乱して歩こうが、見とがめる者は誰もいないよ。確かに少し邪魔だがな」
「いいえ、その……」
 少年は急に言いよどんだ。
「その……恥ずかしくなるのです。カノーイ様が、いつもとちがう姿をしていらっしゃるのは……」
 そういえば、彼は私が体を洗ったあとも、どこか困ったような顔をしていた。まだ濡れた髪を私が片手で持ち上げながら歩いていくと、あわてて目をそらす。思わず、ふっと笑いがこぼれた。
「砂の風にまみれた巫女の前で、お前は何を照れているのだ」
「わかりません」
 ぶっきらぼうに答えて、少年は私の手からパンを受け取った。