小説を書く人は映像脳なのか文章脳なのか:混合タイプの私の場合

先日、面白いツイートを見かけたのですよ。

これ、いろんな人が反応していて、それだけでも面白かった。
当然ながら私も反応して、それに気づいた佐づ子さんと「私はこういう感じかも」とやりとりをしているうちに、ほほう…ってなったんですね。

せっかくなので文章にまとめるよ。いってみよー。

どっち?

このツイートを見た当初、私は「映像と文章と両方使うもんなんじゃないの?」って反応でした。
書く時は両方浮かんでくるんだけどな…って。

アンケート機能を使って「あなたはどっち?」って聞いてる人もいて、それを見る限りでは映像脳のほうが多そうだったんですね。
逆に文章脳を自覚してる人は、「ナレーションが聞こえてきて、それを文章に起こすことで小説を書いてるよ」とか。

ただ、「映像も文章も両方だよ」って人も、そこそこいるみたいだった。

人の頭の中をのぞくことはできないので、こうやって聞いてみるの面白いですね。

自分の中でいかにして小説をとらえるのか

で、自分の場合はどうなのかなって考えたわけですよ。

小説を書く時、確かにカメラワークで動く映像は見てる。
だから、「今の動きを言葉で説明する時、どういうふうに表現すれば過不足なく伝わるかな」って試行錯誤はよくある。

ただ、同時に文章が出てくることも多いかな?って。
絵本についてる文章や、映画の字幕みたいに一緒に出てくる…気がしてたけど、ナレーションで聞こえてるのかもしれない。書いてる時は意識してないから、ちょっと自信なくなってきた。あ、でも私の思考は音声依存なので、ナレーションかも。

小説の書き出しの部分は、映像なしが多いかなぁ。文章だけが出てくる。

佐づ子さんとやりとりしてる時は「絵巻物形式かな?」なんて言ってたんですけど、ぶっちゃけバラバラです。
映像の時もあるし、漫画のようにコマ割りした静止画(台詞や地の文つき)のイメージで見える時もあるよ。モノローグ書いてる時は映像が見えない気がする。

うーん…本当にどうなんだろう。映像だけじゃないのは確かなんやけど。
割と文章の流れにまかせて書いてるし、流れにまかせてると言いつつもシーン内の推敲と校正をくり返しながら書いてるので、常にあっちこっち意識が飛んでる感じなんよね(こうすると誤字脱字が減ります)

昔は映像脳だったけど

それで気づいた。昔はこういう書き方できひんかったなって。

小学生の頃は、もっと映像脳だったんですよ。圧倒的にドーンと映像が見えてた。
もうね、自分の中で浮かんだ映像が、自分の心をつかんで離さないわけですよ。その世界にどっぷり浸かってしまうの。うっとりするほど幸福なの。

その感覚は自分が小説を読む時も同じでした。没入感すごかったもん。
感動して泣いたりしないの。泣くこともできないほど全身その衝撃に身をゆだねて溶けちゃってるから。
特に宮沢賢治『銀河鉄道の夜』はすさまじかったことを覚えてる。

ところが一方で、小学生の頃の私は小説を最後まで書けない子だったんですよ。
まず、ストーリーがちゃんと構成できない。
今でも私はプロットを書かず、行き当たりばったりで適当に書くんですけど、書きながらどうにか構成することはできる。でも小学生の頃はできなかった。最後まで書ける作品もあったけど、書けないほうが多かった。

あと、まぁ当然っちゃ当然だけど文章力も語彙力も圧倒的に足りないですよね。小学生だし。
自分が表現したいことを、ちゃんと伝わる日本語で書ききれていない。
10歳未満までは、母に何度か自分の小説を見せて、「何言ってるのか全然わからん」と容赦なく斬られてました(そして親には見せなくなった)

言葉を操る能力が大人よりも足りなかったのと、自分の中で映像優位だったのもあって、小説にも挿し絵を入れたり、絵本形式にしたりすることが多かったかな。
当時は絵を描くのが好きだと思ってました。

ただ、私は両親が活字中毒で、幼い頃からいろんな本を与えられて育った。
10歳か11歳の頃には、NASAの天文学者カール・セーガンが書いた啓蒙書『COSMOS』を愛読してて、11歳で哲学ファンタジー『ソフィーの世界』を読み、『指輪物語』を読破した。
その過程で多分、たくさんの語彙や表現を覚えたんですね。

そして皆が創作の病に侵されやすい中学生の頃、突然やたらと小説を書き始めた。
このあたりでは、すでに小学生の頃とちがって映像脳オンリーじゃなかったはず。内省的な描写も多かったから。

恐らく、成長して言語能力が上がり、たくさんの本を読んで構成などが刷りこまれるようになったことで、映像脳と文章脳の混合になったんじゃないかな?という気がしてる。

あとはほら、大学生の頃にネットが普及し始めて、皆が個人サイトやブログを持ち始めて、日記や小説をネットで公開できるようになってさ。
この影響は大きかったよね。読んだ人にちゃんと伝わる文章を書いてるのか?って意識を持つという上で。
あれで推敲・校正しながら書くようになって、自分の中で映像と文章を頻繁に行き来するのが当たり前になったかもしれない。

(小学校でも中学でも高校でも大学でも、私の書いた小説を読んでくれる友達がいた。だから書くのをやめられなかった一面はあると思う)
(ちなみに執筆が手書きからPCに変わったのは高校以降)

余談

がっつり映像脳だという人の作品を読むと、「あーこれ自分が書こうとすると大変なやつだ!」と感じたりします。
どうやってんだろー、これ。

私が子どもの頃に持っていた圧倒的なあの没入感を殺さないまま、今のレベルまで小説が書けるようになることは、果たしてできたのだろうか?
わかんないですね。

余談その2

2017年6月6日23:20追記
先月末から今月にかけて、原稿のネタの夢を何回か見たのですが、両方とも映像+ナレーションでした。
小説を書いている時も恐らく同じで、映像を見ながら文章がナレーションで聞こえているようです。