「ユーリ!!! on ICE」について:勇利の弱さと強さとヴィク勇の関係性

他の人の考察を読んでいたら、「あなたのヴィク勇についての考察を読みたい」と言われたので書いた。
二次創作やってる立場から考えたあれこれなので、そっち方面の話を多分に含みます。

時間がなくて、ひとまず今思ってることをざっくり書いただけ。
とりあえず今回は勇利の話を少し。

少しと言いつつ長くなったね?!
ヴィクトルの話はまた機会があれば。

勇利の弱さ

日本人にありがちな自己評価の低さゆえかもしれませんが、勇利は自分のことを弱いと思っているふしがある。
実際、ヴィクトルがコーチに就任する前は、試合のたびに調子を崩す勝負弱さが目立ってた。

その影響もあってか、勇利のことを弱々しく描いた二次創作もよく見かけます。
少女漫画やBLでも「自己評価の低い主人公」「すぐに『私なんて』『僕なんて』とか言っちゃう主人公」は非常にスタンダードなので、なじみやすいのでしょう。

私としては、弱々しく描かれた勇利に違和感がある。

ただ、勇利が弱いのは事実だと思ってます。
私が思っている勇利の弱さは、あまりにも客観的になりすぎることと、考えすぎてしまうこと。

客観的に自分の実力を判断できること自体は悪くないのでしょう。
特にフィギュアスケートみたいに、チームではなく自分ひとりの戦いで、なおかつ採点制の場合は「このプログラムではこれ以上の点はとれない」みたいな限界もはっきりしてるわけだし。
9話のユリオも客観的に「このままではJJや勇利に勝てない」と判断したから、ジャンプの構成を変えた。

でもね、自分の実力を正確にわかってしまうというのは、自分の限界を最初から決めてしまうことでもある。
「これ以上は自分には勝てない」と判断して、そこから「それでも自分は勝つ、勝てるんだ」と信じて勝ちを狙いに行けるのか。
「自分は負けてしまう」と判断して、自分の勝利を信じられなくなる可能性も大いにあるんじゃないのか。

それでも金メダルがほしい気持ちを隠さず(10話)、プレッシャーに打ち勝って、ユニークさという自分の武器を前面に出していけるのがピチットくんです。彼は非常にメンタルが安定している。

一方、負けてしまうという判断が強く働いてしまいがちで、あとは余計なことを考えすぎてどんどんマイナス方向に引きずられてしまうのが勇利だな、と。

私が精神的に悪化してる時、「とにかく考えるな」って彼氏に言われたんですよ。
「考えてもロクなことないから。考えすぎても何もいいことないから」と。

鬱病の人は、自分の状況をかなり客観的に見ているのだといいます。
そして、鬱になっていない人は、自分のことを実際の実力よりも過大評価しているのだとも。

自分の状況が客観的に判断できるというのは、自分の自信を奪って落ちこむ方向へ引きずりこんでしまうのではないかと思うんですよね。最近。

勇利はそれをずっと続けているうちに、1話冒頭の「どこにでもいるフィギュアスケーター」みたいなところまで自己評価を下げてしまったんじゃないかなって。
(完璧主義というのもありそう。グランプリファイナルに出場できたのに、最下位だったから駄目だった、みたいな)

そういう意味では弱いのです。

あと、もともとの性格だと思うけど、勇利は割とすぐキャパオーバーになりそうなところがありますね。
だから人とのあいだに壁をつくって、心の殻の内側へ踏みこまれないようにしてるんだろうなと。感情をむきだしにしすぎないように、傷つけられないように。

ボロボロになるよりは、そうやって自衛したほうが正しい。

ただ、自分は負けるって判断して考えすぎてしまうところに、そういう防衛寄りの意識が加わった以前の勇利は、なかなか勝利をつかみに行きづらかっただろうなぁと思うんですよ。
攻撃は最大の防御なのに、攻撃よりも防御を選んでしまった印象だし。
(ユリオはすがすがしいほど、ひたっすら攻撃を選びますよね)

キャパオーバーになる前に自分から閉ざしてしまう。自分から身を引いちゃう。
だから、勝利を求めることに対して躊躇のないヴィクトルにガンガン攻めてこられたら、完全に先手をとられて負けます。

最初から、ここが自分の限界ですって線を引いちゃってるから、勇利はそこを突破する勢いが持てない。ヴィクトルの「勇利と離れるとか無理!競技復帰もコーチも両方やるぞ、全部だ全部!」という勢いに押し切られる。

勇利の強さ

それだけの弱さがありながらも、勇利は日本の男子シングル唯一の特別強化選手だったし、グランプリファイナルにも出場している。

自分に自信がなくてはっきりと口に出せなかっただけで、本当はいつだって金メダルがほしいと思いながら滑ってきたし、勝利を求めてる。勝ちたいという欲は持ってる。

単身デトロイトに渡って、チェレスティーノのもとで修行を続けるだけのたくましさもあるのです。

長谷津にいた頃は、九州の田舎だからきっとよくわかんないアホなことも散々言われただろうし、無遠慮な視線にもさらされたんだろうけど、いつでもやりたいと思えばバレエとスケートの練習をすることができた。
周りの人々がそれを許してたんですね。ミナコ先生も、アイスキャッスルはせつの人々も。

そういう練習好きなところは、すでに才能のひとつでもある。
絵を描くことも楽器の演奏も、正しい努力を続ければ一定以上のレベルは目指せると言われますが、大半の人々はまず努力ができないんです。

もともとのセンスはあったにしろ、正しい努力を続けたからこそ、基礎的な能力に裏打ちされた見事なステップやら、バレエを叩きこまれた体でしか描けない美しいポーズやらが生まれる。
(ただ努力するだけでは身につかない。必要に応じた負荷と方向性の努力が必要。それが正しい努力)

で、勇利にはそれだけの才能があって、それを受け止めて続けさせてくれる環境があった。
本来なら実家の家業の跡取り息子だっただろうに、両親は息子が海外へ行ってコーチに師事するのを許し、もちろん経済的な援助もしている。
ヴィクトルやユリオと比べて、まちがいなく家庭環境には恵まれているし、愛されて育っている。

さらに特技はダイエットだし、太りやすい体質なのにちゃんとスケーターらしい体格を維持して筋肉もつけてるし、プログラム後半でジャンプを飛びまくるほどのスタミナもある。
自分を律することができるって、めちゃくちゃ強いですよ。
やせたいって言いながら全然やせられない皆さん、そう思いますよね?

ヴィクトルにあこがれる人は大勢いても、そこから彼の真似をして滑り、彼と同じスケーターを目指し、国際大会に出場し、同じグランプリファイナルへ出られるほどの実力を身につける人はほとんどいないんです。

で、そこまで自分を律して努力を積み重ねていける勇利は、そこで終わりたくなんかない。
初めて顔を合わせたヴィクトルに、「記念写真?いいよ」などという対応をされて、喜んで一介のファンのように写真を撮るとか絶対したくないんです。
同じ氷の上で戦うスケーターとして、対等なライバルとして認められたい。本人は自覚がないけど貪欲なんですよ。

「ヴィクトルの真似だけじゃ、ヴィクトルを超えられない」って言ってるし。
無意識だけど、ヴィクトルを超えたいと思ってて、勝ちたい、認められたいと思ってる。あこがれるだけで終わらない。そういう強さ。

ずっとそう思い続けてきたからこそ、どんなにつらくても、勇利はヴィクトルの手を離そうとする。
競技者としてのヴィクトルを少しずつ殺していく罪悪感を誰よりも強く意識していて、「自分は引退するから、氷の上に戻るべきだ」と別れを告げる。
ぐずぐずと引き伸ばすのではなく、自分で幕引きを決めて、腹をくくって動けるだけの強さはある。

多分それを強さだとは思ってないだろうけど。すごく苦悩して、自分はもう決めたんだからやらなきゃ、って思ってるんだろうけど。

なんというか、勇利は自分の強さに対して無自覚だな。

つきあっている/いないの問題について

本編の世界観

アニメ本編のYOI世界は、現実の世界と似て非なるものです。
同性愛についての差別や偏見は描かれない。

6話でクリスの演技を見ながら、ヴィクトルが勇利の背中にべったり抱きついているシーンでも、となりにいるピチットくんとグァンホンは何も言わない。
じろじろ見ることすらしない。

10話でペアリングをつけたヴィクトルと勇利に対して、ピチットくんは「結婚おめでとー!」と拍手するし、「僕の親友が結婚しましたー!」と店中の人に聞こえるように叫ぶ。
たまたま居合わせた見知らぬ人たちは皆、「おおー」と笑顔で拍手を送り、心温かい反応を示す。クリスはにやにやしてるし、オタベックは真顔で拍手してる。

翌朝、ヴィクトルの背中を蹴りつけるユリオも、「男同士で結婚とかふざけんな」みたいなことは一切言わない。
戦うことだけを考えている彼には、ヴィクトルが愛に腑抜けたとしか思えない。
だから「ヴィクトル・ニキフォロフは死んだ」と言い放ち、ペアリングを「家畜(勇利)にもらったガラクタ」と表現し、「俺が勝って飼い主(ヴィクトル)の無能を証明してやる」と宣戦布告する。でも差別的なことは言わない。

11話でふたりのペアリングに気づいたサーラは「なんで?」とは言うものの、「男同士なのに」みたいな反応はない。どちらかというと「あのふたりに何があったわけ?」って感じ。
そのとなりでは兄のミケーレが「えぇのう、わしもサーラとしたいのう」と言ってサーラに無視されていますが、彼もそれ以上の反応はしない。

なるほど、そういう世界観なんだなと思ったので、私も二次創作では同じノリで書いてます。

この世界観における恋愛の自覚

ただ、そうなると難しいものがあって。
勇利は自分とヴィクトルの関係に、その手の恋愛要素が入っていることにどこまで気づいているのか?という。

アニメ本編でふたりが恋愛関係にあるかどうかは明言されなかったため、二次創作では「ふたりで恋人としか思えないあれこれをしてるけど『※つきあってない』」という設定の作品が山ほど登場した。

一方、
「ロシアでは日本のように『つきあって』みたいな告白はしない。ふたりで出かけるようになったら、もうつきあってるんだとお互いに自覚する」
という知識も広まった。
つきあってる自覚のあるヴィクトルと自覚のない勇利、という設定の二次創作もこれまた何度となく見かけた。

いちいち「つきあって」という告白の儀式を必要としないのは、ロシアに限ったことではない。
フランス在住の人からも、スペイン語圏(スペイン、南アメリカ)の人からも同様の話を聞いたことがある。

そういう文化圏には「(恋愛的な意味で)つきあう」という単語はなくて、かわりに「出かける」という単語を遣うのだそうです。
ふたりがわざわざ「出かける」という時点で特別な関係だから、と。
(私の記憶頼りなので、まちがってたらすみません)

実際にしばらく一緒にいないと相性もわからないから、というわけで、最初の何回かのデートはお試し期間である(体の関係を持ってもOK)とも聞く。

勇利はデトロイトに留学していたこともあり、多少このへんの事情は知っている可能性がある。

ただ、男女ふたりで「出かける」こと自体が特別な関係にあることを示しており、告白の儀式をわざわざ必要としないとは言え、同性同士だと多少は変わってくると思うんですよ。

ふたりで「出かける」相手は異性しか恋愛対象にしないタイプかもしれないし、同性からそういう対象として見られていることに自覚がないかもしれない。現実の世界では、差別されるかもしれないというリスクや恐怖もある。
北米のM/Mロマンスを読んでると、「相手はノンケかもしれないから、友達としてすごそう」と自分に言い聞かせて仲良くなったものの、ふたりで出かけているうちに恋愛感情をつのらせて苦しむ主人公…という描写も見られます。

でも、YOIのアニメ本編は、異性愛も同性愛も等しく扱われている世界観です。

となると、相手が異性だろうが同性だろうが、ふたりだけで親しく出かけて買い物したり、体を密着させたりしていれば「特別な関係/恋愛関係にある」と認識されるのかもしれない。

その場合、勇利はどこまで自覚していることになるんだろうな、と。

周りの人間は、ヴィクトルの密着度とあからさまな牽制を見て「ふたりはステディな関係らしい」と判断すると思うんですよ。
でも日本では、告白の儀式を行っていないから、はっきり恋愛関係にあるとは認識されない。

そういう世界観の中で、日本人ではあるけれどもデトロイトに留学経験があり、世界各地の大会に参加して多少なりとも海外の人々と交流してきたはずの勇利は、ヴィクトルとの関係に恋愛要素が含まれていることを、どこまで認識しているんだろうな?って。

ここがすごく判断しづらいので、自分でも二次創作を書く時に迷います。

勇利は恋愛の自覚を持っているのか

もし勇利が、ふたりの関係に恋愛要素も含まれていると自覚しながら、必勝祈願のお守りとしてペアリングを買って教会でヴィクトルの薬指にはめ、翌日に「終わりにしよう」を投下したのだと考えた場合は、相当やばいと思うんですよね。
ヴィクトルの中に大きな傷を残して、ずっとあこがれてきた大好きなヴィクトルに恨まれてもいいと思ってるわけだから。

個人的には、恋愛要素に対して自覚がなかったんじゃないかなと思ってる。
男同士だったからではなくて、勇利は自分に向けられている矢印全般に関心がなさそうだから。

もともと鈍感そうな気もするけど、自分を守るために最初からシャッター下ろしちゃってる感じもするよね。考えないようにしてる。
そのきっかけの中に、西郡と優子ちゃんの結婚があるかどうかはわかんないけど。

恋愛って他人の人生に強く干渉することだし、もちろん相手からも干渉されるし、踏みこまれたくないと思ってる勇利にとっては暴力的な側面が強かったんじゃないかな。

長谷津の海辺での会話にも象徴されているように、勇利との距離感をつかみかねていたヴィクトルの前で、他人に踏みこまれたくないという自分の弱さをさらけ出し、ヴィクトルが「踏みこんだ分だけ返してくれる」ようになって、時間をかけてヴィクトルとの信頼関係ができていったと思うんですよ。

だから、試合の場でヴィクトルにべたべたされても、勇利はデトロイトの女の子みたいに突き飛ばしたりしない。
自分の壁を無理やり突破するんじゃなくて、ちょっとずつちょっとずつ内側に入ってきてくれたから。

しかし、「ヴィクトルにはヴィクトルでいてほしい」と告げて、ちょっとずつ距離をつめていったために、「こんだけべたべたくっついてたら、どう考えても恋愛要素含まれてるよ」って自覚する機会を逸したのかな、と…。
恋愛の暴力的な側面を薄めて、少しずつ浸透させて、気がついたらそこにヴィクトルがいた、くらいの関係になってましたからね。

あまりにも自覚がないままヴィクトルとの関係になじみすぎて、勇利がはっきりと自覚した頃にはすでに結婚が決まってた、という展開もありえる感じだなと思います。