沈んだ月の中から 06:知らない顔

 この世界は広いようで狭い。他人の庭を侵さないようにしていても、いつのまにか庭と庭のあいだにトンネルがつながっていたりするのだ。モンゴメリの『秘密の花園』みたいに、閉ざされた花園への入口を見つけてしまう人間だって出てくる。

「やばいことになっちゃったな」
 どこかおどけたしぐさで、イナバとオロチのオーナーが言った。いつまでたっても若々しい男は、長い髪を後ろでひとつに束ね、スーツを着崩して座ったまま苦笑した。
「やばいって、何があったの?」
 考えるよりも早く言葉が出てしまうオロチは、イナバよりも先にそう問いかけた。ひたいに手を当てたオーナーが答える。
「お前たちのお仲間が見つかったよ」
 びっくりして、イナバとオロチは口々に声を上げた。
「能力を持ってる人?」
「どこに?」
 そう尋ねたあとで、ふとイナバは疑問に思う。能力を持つ人間はめったに見つからない。それが見つかるというのはオーナーのような立場の人間にとって、本来なら喜ばしいことのはずなのだ。自分の武器を増やせるのだから。でも今オーナーは「やばいことになった」と言った。それはつまり。
「……もしかして、とっくに他のオーナーがついてるの?」
「ご名答」
 オーナーのまなざしがイナバを射抜く。
「なんだ、じゃあ仲良くなれないなぁ」
 がっかりした様子でオロチはイスの背もたれにもたれかかった。逆にイナバは顔をこわばらせ、さらに身を乗り出す。
「敵対してる誰かなの?」
「そうなるかもしれない」
 オーナーはテーブルの上に置いた大きな封筒から書類の束を引き出した。
「実は別のところから情報をもらったんだ。能力者の情報を渡すなんて信じられない話だけどね。つまり取引だよ」
「何の取引?」
 イナバの問いに、オーナーは黙って笑みを刻む。今は答える気がないらしい。この子だよ、と書類の束からより分けた写真を指差した。若い男性が写っている。大学生だろうか。

「戸籍上の名前は三島ケイ。本人はケイと名乗っている。過去に養子縁組をして、その時に姓も変わってるね」
「え、どっか養子に入ったの」
 オロチが聞いた。オーナーはなんともいえない表情を浮かべる。
「どうも過去のオーナーが養親になっていたみたいだな。お前たちだって形式上は俺が保護者だ」
「この人、家族いないの? 俺たちと同じ?」
「少しちがうね。十三歳から十四歳のあいだに、家族が次々に亡くなってる。そのあとで当時のオーナーの籍に入った。そのへんのゴタゴタもあって高校受験はしてないな。一応、通信制の高校を卒業してるよ」
「なんでそんな急に家族が全員死ぬんだ。不自然だろ」
 イナバは疑念を口にした。「まぁね。不自然だ」とオーナーも認める。
「二十歳で籍をはずれて再び三島姓に戻っている。ちょうどその時、新しいオーナーの庇護下に入ったようだ。そこからずっとオーナーは変わっていない。現在は二十三歳、と」
 へえ、オーナーを乗り換える人って実際にいるんだ、とイナバは妙に感心した。いったいどうやってそんなことを実現するのだろうと思ったが、その芽生えかけた疑問に答えたのは他でもない、目の前にいるイナバとオロチのオーナーだった。
「……どうやら、今のオーナーが前のオーナーから能力者を略奪したという形に近いらしいね」
「りゃくだつ? なんか盗賊っぽい」
 目を丸くしたオロチは、恐らく最近読んだファンタジー漫画を連想しているのだろう。

 肝心なことをまだ聞いていないのに気づいて、イナバは尋ねた。
「それで、この人の能力って何なの?」
「情報収集だ」
 オーナーは目を細めて、再びひたいに手を当てる。
「詳しいことはわからない。ただ、この情報をくれた人間にとっては非常に目障りなんだね。わざわざこんな情報をくれるわけだから」
 オロチが不思議そうな顔をした。
「情報をくれた人が、その能力者、えーと、ケイ? その人を『略奪』すればいいんじゃないの」
 敵の武器は自分のものにすればいいじゃん、とオロチは続けた。確かに、目障りなほどの情報収集力ならば、味方につけてしまったほうが利になる。でも、それができないから「やばいこと」で「取引」なのだろうとイナバは思う。
 案の定、オーナーは皮肉そうな笑みを浮かべた。
「それは事情があってできないそうだよ。まぁ、能力者を手元に置くのは大変なことだからね」
 未成年のふたりを保護している俺たちのオーナーはもっと大変なんじゃないだろうか、とイナバは考えたが、口には出さなかった。

「ケイに会ってみたい?」
「どうだろう……話は聞いてみたいかな」
 目を閉じてお互いのひたいをくっつけたまま、イナバとオロチは言葉をかわす。ふたりの頭上にはそれぞれ緑色に光る細い輪がくるりくるりと回って、能力の発動を告げる。
「どんなこと聞く?」
「能力使う時、どんな感じ? って」
 それから、オーナーを乗り換えるのって、どんな感じ? オーナーってどんな人? どんなふうに暮らしてる?
 イナバとオロチはふたり一緒だけど、他の能力者はたいていひとりでオーナーの庇護下に入ってる。それって、どんな感じなんだろう。聞いてみたい。でも聞いちゃいけないかもしれない。きっとイナバとオロチですら互いに踏みこめない部分があるように、ケイにも薄い皮でへだてられた血まみれの部分がある。
 能力者はオーナーの武器だから。
 人を傷つけて、倒して、それが「仕事」になる能力だから。
 今夜もふたりは体を離れて音を操り、オーナーのために誰かを倒す。