沈んだ月の中から 03:汚れない手

 私みたいな能力者は、たいてい金持ちのオーナーの専属になって生きてる。オーナーは私の能力を利用して、お金を稼いだり自分の組織を大きくしたりする。私は能力を使ってオーナーの役に立つかわりに、生活の心配をしなくていい。オーナーも能力者も千差万別、いろんなタイプがあるけど、基本的な構造は同じ。
 昔は能力者を人間扱いせず、家畜か奴隷のように扱うオーナーもいたらしい。でも、日々の生活が苦しくなると能力者もうまく能力を発揮できないんだってことがわかってからは、そういうのもなくなったんだって、私のオーナーが言ってた。「衣食足りて礼節を知る」ってのとは少しちがうけど、心身に余裕のない状態で自分のベストを尽くせるわけないよね。今の時代に生まれてよかったと思う。

「ヒカリは本当にスマホが好きだね」
 長い脚をゆったりと組んでオーナーが微笑んだ。オーナーは女の人だけど、ちょっと宝塚の男役みたいな雰囲気がある。髪もあんまり長くないし、背が高くて、ワンピースよりもスーツが似合う。自分のオーナーがかっこいいのは、見ていて気持ちがいい。
「だってさぁ、かわいいものとか、きれいなものとか、かっこいいものとか、全部ここに集められるし」
 私はひざの上に置いたiPhoneと、左手に持ったAndroidを交互に右手で指差した。ネットのニュースや動画を見るのはAndroid、アプリを使ったり、ケースを日替わりでつけ替えたりするのはiPhoneって感じで使い分けてる。
 オーナーはちらりと私のiPhoneを見た。
「SNS使うのとか、怖くないんだ」
「え、怖い? なんで?」
「だって、個人情報を特定される人とか、いるでしょ。ヒカリが狙われたら嫌だな」
 オーナーはそう言って首をかしげた。かっこいい人なのに、首をかしげるだけで乙女のようなかわいらしさがある。本音を言えばオーナーの写真をたくさん撮りたいくらいなんだけど、絶対に撮らせてくれない。さすがに私も盗撮しようとまでは思わないから、ふとした瞬間を必死で記憶に焼きつけてる。今みたいに。
「やばそうな個人情報は漏らさないようにしてるよ。自分が好きなものを眺めてるだけだし」
「でもね、世の中には、自分の好き嫌いすらも個人情報だから秘密にしたいって人もいるんだよ。あんまりネットに上げたくないって」
「えぇー、そうなの?」
 オーナーは面白そうに目を細めた。
「……ヒカリのお仲間で、SNSをやってる人は、どれくらいいるんだろうね」
「んー、あんまいないと思う」
 寝転がりたくなって、ラグの上で後ろにひっくり返る。フェザークッションがバフッと音を立てた。
「自分の正体バレたら面倒そうだし、用心してるんじゃないかな。だいたい、能力者ってどれだけいるの? 日本に何人?」
「さぁねぇ。皆、自分のところに能力者がいるなんて言わないからねぇ」
 オーナーはほおに人差し指をあてた。オーナーの長い指と大きな爪が私は好きだ。私よりも大きな手。

 知らない、わからないと言いながらも、オーナーは能力者に詳しい。私のような能力は女性にしか出ないんだって言ってた。男性の能力者は意識を飛ばして能力を使うんだけど、女性の能力者は自分の肉体を飛ばして物理的な攻撃ができる。自分の肉体を守るために結界みたいなものを張りながら移動できるのは女性だけなんだって。だから能力者の痕跡も残らないらしい。
「あー、笑っちゃう」
 タブレットでアニメを見ながら、私はまのびした声を上げた。アニメの中では、何かを叫びながら、こぶしとこぶしで殴りあう男の子たち。
「普通さぁ、男のほうが体力あるし、体もでかいし、力も強いし。なのに能力者だったら男のほうが弱いって、何それ。笑える。オーナーに逆らえないとか、弱すぎ」
 私は凶器だ。気に入らないオーナーとは契約しない。自由に契約を選べるだけの強さが私にはある。銃弾は私の前で蒸発するし、大男が襲いかかってきても指ひとつ触れさせずに骨を砕ける。男よりも小柄で、ひょろひょろした筋肉しかついてないのに、相手を殴る能力は女のほうが強いなんて、ほんと皮肉。
 残念ながら、誰もそんな凶器をおいそれと手元に置きたがりやしない。証拠を残さずに敵を攻撃できて、自分には殴りかかってこない能力者のほうが、オーナーにとっては好都合。だから私は何人ものオーナーのあいだを渡ってきた。私を恐れて手放した人もいれば、私に無理難題を言って返り討ちにあった人もいる。おっさんのオーナーって本当に嫌。若い女は自分の言いなりになると思ってる。私に両腕を折られて泣いたくせにね。
 もちろん、私の能力にも限界はある。無尽蔵に使えるわけじゃないし、使ったあとはとっても疲れて眠たくなる。ライオンがめったに戦わないように、私もめったに仕事以外で能力は使わない。自分の身が危険だと思った時だけ。殺さないように殴る。昔のオーナーたちみたいに。
 今のオーナーのことは一番好き。かっこいい女の人だし、変なことも言わない。能力者の事情にも詳しくて、いろんなことを教えてくれる。何者だろうって思うけど詮索はしない。私たちは金と権力を持った人たちの秘密を握りやすい立場にいるから、余計なことは知らないほうがいいんだ。そのほうが自分の能力をうまく活かして生きのびられる。
 アニメの男の子は、ペッと血を吐いて走り出した。顔を殴られたら、血を吐いたりするのかな。どれだけ痛いんだろう。汚らしい顔に涙を浮かべてひぃひぃわめいていた、昔のオーナー。きっと痛かったよね。そりゃそうだよ。そのために殴ったんだから。

 髪をポニーテールにまとめて、タートルネックのシャツを着て、スカートのかわりにぴったりしたスキニーパンツを履いて、夜のベランダに立つ。緑色の細く光る輪がふたつ、交差しながら私の頭上に浮かぶ。今夜は仕事が入った。目を閉じて、再び開いた時には、私は空を飛んでる。虚空を殴るように、空気を押しながら飛ぶ。電車で移動してもいいんだけど、仕事の時はなるべく飛んでいきたい。気持ちが高揚する。今から殴るんだって。
 百貨店のトイレの個室に入ってドアを閉めた瞬間、その人は動けなくなる。私の無数の手に口をふさがれ、ドアへ押しつけられて、ドアへ当たった爪の音がかすかに聞こえるだけ。この仕事で嫌なところは、こんなおっさんに触ったり、おっさんを殺すために汚い男子トイレへ入ったりしなきゃいけないことかな。
 おっさんに判断力が戻る前に、私は殴る。とても静かに、となりの個室にいる人が気づかないほど静かに、骨を砕き、内臓を破り、脳をぐらぐらとゆさぶる。動かなくなったおっさんをすぐにでも放したいけど、音を立ててはいけないので、ゆっくりと腕を伸ばして、少しずつ床に下ろしていく。普段はここまでしない。もっと偶然、普通に死んでしまったように見せかけたほうがいいから、駅のホームで突き飛ばしたりすることが多いんだ。でも、今回は私の能力をわかりやすく使って、おっさんの内側を殴るように言われた。何かの見せしめに殺したかったのかもしれない。

 かわいいもの、きれいなもの、かっこいいものを集めたい。手の中の端末に集めて、いつまでも眺めていたい。無残に汚れた死体を忘れて、私が今まで殴ってきた人たちを忘れて、汚いもので汚された私の手と目を、きれいにするの。きれいに。
 自分の手が汚れてるんだって思ったのは、いつのことだっけ。もう忘れた。とっても昔の話。でも、人間ってそういうもの。汚れた手できれいな世界をつくる。血まみれのお金で美しい服を買う。汚れてるなんて考えるのはその人の気持ちの問題で、本当はどっちも一緒。私の手はとってもきれいで、とっても汚い。どっちでもない。人を殴って骨を砕いて殺しながら、オーナーを助けて、部屋を掃除して、かわいいケーキの写真を撮って、SNSでいいねを押しまくる。汚れなんて、手を洗えば消える。
「ヒカリ、何かほしいものある?」
 帰ってきたオーナーが薄手のコートを脱ぎながら言った。
「え、何、急に」
「そのへんのお店で、もうクリスマス商戦が始まってるんだよ」
 オーナーは適度に私を甘やかそうとする。日頃ちゃんと働いている私へのご褒美だとか、私を懐柔するためだとか、いろいろあるんだろうけど、深く考えないで私も適当に甘やかされたり断ったりする。そう、断ることもあるんだ。今のオーナーとの暮らしが安定しているせいか、「絶対にこれがほしい」みたいな物欲が薄れてしまって、最近はあまりほしいものがない。
「うーん、iPhoneは今年出たのを買ったし、iPhoneケースもいろいろ試して飽きちゃったなぁ」
「真っ先にスマホの話なんだね」
 ふふ、と笑いながらオーナーはお湯を沸かし始めた。
「なんかさ、すっごくきれいな写真とか、めっちゃくちゃかっこいい俳優の写真とか、おしゃれな部屋の写真とか、ネットでいっぱい流れてくるじゃん。最近はもう、それだけで満足しちゃう。わざわざ買おうって思えなくて」
「情報でお腹いっぱいになっちゃうんだ」
「そう、そんな感じ」
 だって、どれだけきれいなものを集めたところで、死んだらあの世には持っていけない。私が殴っただけで人は死ぬ。普通の人間は私を殴れないけど、どんな凶器にだって弱点はある。向かうところ敵なしに見えた人が、人質をとられてあっけなく殺されてしまうのを、いろんなドラマや映画やアニメで何度も見た。私の好きなもの、私のほしいものは、私の弱点になるかもしれない。
 彼女に見とれてしまうくらい、今のオーナーを気に入ってる。今までで一番好きなオーナーだし、当分は私を捨てないだろうし裏切らないだろうって信じてる。でも、いつまでもこの人と一緒にいられるわけじゃない。能力者とオーナーとの関係なんてそんなものだ。期間限定の疑似家族。期間限定の恋人もどき。この恋はいつか終わる。SNSで押しまくったいいねの大洪水は、私の本心を隠す。世界にあふれるきれいなもの、かわいいもの、かっこいいもの。その中のどれが本当に私の好きなものなのかは、誰にも教えない。
 iPhoneとAndroidを放って、私は甘えた声を出した。
「ねぇ、私にもお茶いれて」