Kindle書評『もしかして私、大人の発達障害かもしれない!?』『日本の仏教を築いた名僧たち』『精霊の守り人』

BLは短くてすぐ読み終わるので、ついついたくさん読んでしまいがちなんですけど、BL以外の本も読んでるんですよ?

前も言ってた気がするけど、自分の好きな動物学やら天文学やら進化論やらといった本は米や肉や野菜を食べてる感じで、BLはお菓子を食べてる感じです。
そのお菓子だって、デパ地下の素敵なケーキもあれば、スーパーやコンビニで買った市販のチョコ菓子もあるって感じで。

どっちも食べたいよねー。
今日は米や肉や野菜のほうの感想いってみよー。

田中康雄『もしかして私、大人の発達障害かもしれない!?』


日替わりセールでぽちった気がする。

大事なのは障害があるかどうかじゃなくて、具体的にどう対処するか

子どもの頃から、学校に「あの子は恐らく性格がどうこうじゃなくて、なんらかの障害があるんやろな」と思える子はいた。発達障害のひとつなんやろうなって感じの。

そして大人になってからも、周りに「今さらだけど発達障害だと判明しました」という人がいた。
発達障害に限らず、20代後半とか30代とか、そのへんの年齢になってから診察を受けてさまざまな病名を言い渡された人はちらほらいる。

そんなわけで、ふと興味があってぽちったのでした。
この本で紹介されている発達障害の事例に、私はまるで当てはまらなかったんですけど、子どもの頃は別の方面ですごく生きづらさを感じてたり、うまく適応できない気持ちをすごく味わってたから、なんとなく気になったのね。

発達障害は、ある特性により、「社会で一緒に生きていく上で、弊害になっているかどうか」が判断上大切になります。

誰しも多かれ少なかれ、とがってる部分とか、ちょっと行きすぎてる部分はある。
それが「障害」というラベルになるのは、社会生活を営む上で弊害になっているかどうかですよ、と。

そのため、「人と接触しなくてもなんとか働いて食っていける仕事」というものが昔より減った最近では、この弊害が起きやすくなり、その結果として発達障害だと診断される人も増えているようです。

お互いに解決したいのは、「発達障害かどうか」ということではなくて、「仕事の状況や生活で困っていることをどうしていくか」ということなのです。

障害の有無に関係なく、自分がどんな人になりたいのか、という大きな視点を持つこともとても大切です。

せやな。
診断を受けて「私は発達障害なんです」と周りの人に告白しても、それで解決するわけじゃない。
というのも、「発達障害だからうまくいかないんです」と言ったところで、その人の発達障害がもたらす弊害は一切解決してないから。
「発達障害なので、こういう事態には対応できない。そのかわり、こういう案件は得意だから、そっちに回してほしい」とか、そうやって具体的な提案を上げていかないと、周りの人も対処できないですよ。と。

相手にわかる伝え方で伝え、「ここはこうしてほしい」「これは違うと思う」ということを互いにやりとりしていく。結局は、そういった当たり前の「人と人との付き合い」になるのではないでしょうか。

この一文を見て「結局コミュニケーションかよ」って毒づく人もいるんだろうけど、結局コミュニケーションなのよね。

山折哲雄『日本の仏教を築いた名僧たち』


いつぞやのポイント還元セール対象の中から「仏教」で検索してぽちった1冊。

知らないお坊さんも大勢いた

タイトルのとおり、延々と古今東西のお坊さんを紹介している本です。
途中で退屈になって投げだしそうになったけど、峠を超えたのか、あるいは私の気が変わったのか、後半はすんなり読み進めることができました。

いくつかハイライトつけた部分を紹介してみるよー。

父帝の聖武上皇の冥福を祈って孝謙天皇が梵網経を僧たちに読誦させたのは、今日の葬儀での読経や戒名につながることである。

お葬式での読経の起源、思ったより大昔だった!
(聖武天皇が亡くなったのは756年)
(ちなみに孝謙天皇は聖武天皇の娘にあたる。通常使われる天皇の名前って諡号だから、性別わかんないね)

三途の川の奪衣婆と懸衣翁、賽の河原の地蔵菩薩のことなどは日本で独自に語りだされた冥土の物語である。そうした物語は葬儀や法事などの習俗を形成していった。

ほうほう。元ネタあったりするのかな。京極夏彦が喜んで題材にしてくれそうな…。

人びとは念仏を縁起の悪いものとして忌み嫌っていたが、空也が天慶元年(938)に入京してからは世をあげて念仏をとなえるようになったということである。

法事のたびに念仏を唱えている浄土宗の家の人間としては、意外に感じる話です。10世紀まで縁起悪かったのか…。

なんていうか、念仏は私の中で呪文的な意味合いが強いよ。
子どもの頃にも「幽霊に遭遇しても念仏を唱えれば追い払えるらしい」なんてうわさ話があったし。

禅僧は文書の作成のみならず、このような詩の技量に勝れていたことから外交で活躍した。

禅僧の中には、中国に渡って皇帝の前で漢詩を披露した者もいたらしい。

明治時代のエリートの話を思い出すね。
初期の大学生は漢詩をつくることができた、次の代の学生は漢詩を読み下すことができた…って感じで、代を下るごとにだんだんレベルが下がっていっちゃうの。
江戸時代までは、知識階層は和歌だけでなく漢詩も詠むことができたから、明治に入っても最初の頃はその財産が残ってたんだろうなって。

余談。
この本を読んでる最中にツイートしたら、弟にこんなこと言われてもうた。

上橋菜穂子『精霊の守り人』


実はまだ読んだことがなかったんですよ。
『獣の奏者』を読み終えてしばらくたったので、ようやく手を出した次第です。

どんな国にも神話がある

予想にたがわず面白かった。
うーん、なんて言えばいいんだろうな。

類型的なわかりやすい悪人がいなくて、登場人物の誰もがそれぞれの背景を背負って物語にかかわってる。
その物語の背景には、支配者による建国神話、先住民の伝承や神話世界が広がっている。

やっぱファンタジーはこうでなくっちゃ!って気分になるのね。
その世界の中で生きている人たちの話だけじゃなくて、彼らが信じている神話や世界観も知りたいって思うし、自分が書く時も知りたい(だからつくろう)って思うのよ。

シリーズ2作目『闇の守り人』は、自分の生まれたカンバル国でバルサが過去と対峙する話か…。
今は気がのらないので、また気が向いたらぽちって読もう。