ただの京都

京都で生まれて、京都で育った。
京都の大学に通い、京都の会社に就職し、京都で何度か転職し、京都で出会った彼氏と一緒に暮らしている。

住んでいる人間にとって、ここはただの京都。
ただの地元。ただの田舎。ただの故郷。
ただ、毎日暮らしている場所。

スーパーで肉や野菜を買い、コンビニで電気代を払い、ドラッグストアで生理用ナプキンを買い、ホームセンターで電球を買い、京都市指定の黄色いごみ袋に鼻をかんだティッシュや生ゴミをつめこんで捨てている。

道いっぱいに広がってだらだら歩く観光客とキャリーバッグの群れをかいくぐりながら仕事に向かい、観光客が道端でふり回す自撮り棒にいらだちながらお昼を食べにいく。

週末、イヤホンが壊れたという彼氏と一緒に、新しいイヤホンを買うべく京都駅前のヨドバシカメラに向かえば、観光客がバスターミナルで列をなし、大混雑。
買い物を終えてお茶が飲みたいという彼氏と一緒にカフェを探せば、どこのカフェも観光客でいっぱいになっていて入れやしない。

週末の市バスは観光客で混み合っていて、乗り方のわからない観光客や、運転手に道を尋ねる観光客がどんどんバスの運行を遅らせる。

住んでいる人間にとって、ここは日常の生活が続く場所。
メディアが伝えるキラキラした京都のイメージなど、どこにもない。

そういうものだと思っているから、慣れているだけ。

「やっぱり京都で暮らしたい!あこがれの京都移住計画」なんてタイトルの記事を見かけると、ただただ不思議になる。
ここはただの京都だ。
あこがれもへったくれもない、べったべたの日常の暮らしが続いている場所だ。

東京には、あまりそういうにおいがない。
あそこにはさまざまな仕事が集中しているので、素敵な京都でほっこり暮らす!みたいなアプローチはなくて、もっとわかりやすくお金のにおいがする。

逆に言うと、お金がないから、仕事がないから、「ほっこり暮らす」などと言って京都のイメージを盛り上げているわけだが。

ほっこり、はんなり、そんなもの存在しない。
はんなりなんて言わねえよ。

ここはただの京都。
私が生まれ、育ち、学び、働き、地べたの日常を送っている場所。
ただの京都。

ここはただのホームタウンで、誰が見ているかわからなくて、陰口が盛んな、ただの田舎だ。