Kindle書評『自分はバカかもしれないと思ったときに読む本』と『創価学会』

先日、お花見ピクニックに行きました。
おしゃべりして、ジュース飲んで、お菓子や卵焼きや肉を食べて。
本も読まない、ゲームもしない、ネットもほとんどしない日って久しぶりやなぁ…。

しかし読み終わった本は順調に増えつつありますので、感想の記事も粛々と進めていきましょう。
いってみよー。

竹内薫『自分はバカかもしれないと思ったときに読む本』


サイエンス系の翻訳などでおなじみの著者によるエッセイ。
そういえば、火星のテラフォーミングについての本もKindleで読んでましたね。

安易にバカだと決めてしまう危険性

子どもの頃、日本からアメリカの田舎の小学校へ転校し、慣れてきたところで再び日本の学校に戻ってきた…という著者の体験談から、このエッセイは始まります。

環境が変わると判断基準も変わってしまう。
英語ができないのでバカだと思われてしまったり、日本に帰ったら今度は漢字が読めなくてバカだと思われてしまったり、でも中学で英語の授業が始まったら一発逆転できちゃったり。

まわりからバカだと思われてると、自分でも「バカなんじゃないか」という発想になっていく。そうなると、「どうせ努力してもしょうがないからやめちゃえ」ということになる。すると、余計バカになる。これが「バカをこじらせる」ということの意味です。

あるあるあるある。
周りの目線ってすごく大きい。
学校に限らず、職場でもこの手のことはよくある。

社内で1番使えないやつだと思われてたのに、転職先では一転して上司に高く評価されて早く出世とか、実際に私もあった。
「あいつ、できないやつだな」って思われると本当にどんどんそうなっていくのよね。

こういう約束事で話をしましょうという前置きをまずちゃんとやっておいて、そこから入っていけば、おそらく躓かないと思うんです。でも、これを丁寧にやらないですね、日本の学校は。だから、コンテクストを共有していないと、いきなり「バカ」っていっちゃう。

お互いに何を前提の条件としているのか、それによって話も変わってくるよね。

基本的に、多様性が失われるとバカになるからです。個々人がバラついて見えるので、統一したがるのですが、実は多様性が確保されているほうがバカじゃない。

基準が1個だけになっちゃうと、当然、そこから少しでもちがうものは全部「駄目」という扱いになってしまう。

インターネットで適切に検索し、インチキ情報をかいくぐって、信頼に足る情報にたどりつくには、その手前で、ある程度の知識の基本量が必要なんです。

せやねん。
ネットの情報は玉石混交やけど、どれが玉なのかを見分けるためには何が必要なのか?っていうと。
結局、ネットとはまた別のところで(たとえば本とか)学んでおいたものが役に立ったりする。

人生があまりうまくいってない人を見ると、だいたい目標が、ない。けれども、不満は多い。「うまくいかない」って、しょっちゅう嘆いている。
(中略)
具体的な目標を立てないことには、人間というのはそちらの方向には行けないんです。

これはぐさっと来るわー。
自分のやりたいこと、自分の望んでることを自分で把握してる人は、恋愛であれ結婚であれ仕事であれ、自分の望む方向に行ってるんだと思うのよね。
その方向がしんどいかラクかはさておき、少なくとも自分の歩きたい道がわかるでしょ。

「自分の望みがわかんない」っていうの、けっこう深刻な問題かもしれない。
最近そう思います。

とっても重要なので繰り返しますが、努力と成果は比例関係じゃないんですよ。

努力すればうまくいくわけじゃない。関係ない。

「努力すれば報われる」という考えは、特に日本の学校で強いようです。
同じ教育機関であっても、塾ではあまりそういう考えは強化されない、という調査結果が出てた。
ソースはベネッセです。

島田裕巳『創価学会』


創価学会について客観的な資料がほしいと思い、ぽちった1冊。
なんで宗教団体なのに学会なんだろうって、子どもの頃から疑問に思ってたんですけど、創立者がもともと教員だったんですね…。

現代日本に残った、最後の村社会

創価学会がこれほどまでに信者数を獲得したのは、高度経済成長期に田舎から都会へ出てきた人々を取りこんできたからだ、というのは知っていました。
田舎に残って家を継ぐ長男と異なり、都会に出てきた人たちはたいてい次男や三男で、継ぐべき家も墓もない。

似たような境遇の人々が集まって語り合う場を設け、それによって入信者を増やしていくという手法は創価学会に限らないし、他の新興宗教の多くで実施されているという話は、大学の宗教学概論でも聞いたことある。

しかし、他の国であれば共産主義の傘下に入りそうだった労働階級の人々が、現世利益を重視する宗教団体である創価学会に吸収された結果、社会運動や革命運動などを起こすことなく終わったという指摘は非常に面白かったです。
創価学会がなければ、あの時代、日本共産党はもっと巨大化していたかもしれないし、保守層の人々にとっては都合の悪い展開もありえた、と。

創価学会は、労働運動の間隙をつくことで、結果的に社会主義、共産主義の進出を食い止めるという機能を果たした。だからこそ、左翼陣営は創価学会の急成長を警戒せざるを得なかった。

公明党は、日本共産党と鍔迫り合いを演じ、票の獲得合戦をくり広げてきたが、けっきょく、日本共産党は公明党には勝てなかった。共産主義のイデオロギーによる人間の結びつきは、信仰による人間の結びつきに、強さの点でおよばなかった

思想よりも宗教のほうが強かった…。
そりゃそうだよなぁ。だって宗教のほうが膨大な背景を持ってるもの。世界の深さというか。

仮に、言論弾圧事件が起こらなかったとしても、創価学会は遠からず、外へ向かっての折伏から、内へ向かっての信仰の継承へと方向性を転換しなければならなかった。既成仏教に見られるように、「家の宗教」への転換がはかられなければ、教団の永続的な維持は難しいのである。

ふむ。

創価学会はもともと日蓮宗の一派である日蓮正宗に所属しており、信者の第1世代が亡くなった際も自前のお葬式を行うことができたので、信者たちが以前所属していた宗派(浄土宗とか)に戻ってしまう危険を防ぐことができた、と。
その後、信者ではない人々を強引に「折伏」するよりも、信者の子孫を子どもの頃から取りこんで信者にするほうを重視していく。

日蓮正宗が特に排他的で、他の宗教との共存を認めない宗派だったこともあり、創価学会もなかなかアグレッシヴです。
信者になったら家の仏壇や神棚も焼き払わないといけないらしい。

お葬式や法事だけでなく、結婚式も日蓮系のやり方で行う。
さらに、家を建てる時の儀式(神主さんを呼んで土地神様にあいさつをするアレ)すらも日蓮系で行うため、創価学会が所属していた頃の日蓮正宗のお寺は大変に忙しく、相当稼いでいたようです。

そんな日蓮正宗と創価学会との決裂は1991年。思ったより遅いね。もっと早い段階で決裂してると思ってた…。

日蓮宗の系統では、とくに江戸で講組織が発達し、そのなかには、寺に所属するものもあれば、特定の寺に所属せず、独自に活動する講組織もあった。寺に所属しない講では、カリスマ的な講元がいて、多くの信徒を集めていた。それは、戸田城聖や池田といったカリスマ的な指導者に率いられてきた創価学会の先駆けとなるものであった。

講といえば私の脳裏に浮かぶのは、京極夏彦『塗仏の宴』の庚申講…。

それはさておき、創価学会といえば池田大作のイメージがありますけど、実は創価学会の会長としては3代目です。知らなんだ。
彼のカリスマ性についても、過去にインタビューを行った松本清張など、さまざまな人物の言葉を引用したり、実際に創価学会のイベントを見学した際の学会員の様子を紹介しながら語られています。

池田は、彼らの前で、庶民的な感覚にあふれた率直な人間であることを演じているわけではないであろう。演じようとする以前に、自ずとそうした態度をとってしまえるのだ。相手のこころを巧まずしてとらえてしまうことは、教祖のようなカリスマ的人物には不可欠な能力なのである。

カリスマ亡きあとにどうなるのか、誰が後継者たりえるのか、それが問題だ、と。
うーん…いろんな歴史上のストーリーを思い出してしまいますね…カリスマって、いなくなったあとが問題だよね…。

他に、民衆重視・インテリ軽視の階級闘争的な側面を持つ創価学会の構造がはらむ、組織としての問題点についても言及されてて、なかなか興味深かった。

創価学会と谷山浩子

創価学会といえば、避けて通れない話ですが、谷山浩子も学会員です。
小学生の頃に親戚から創価学会の話を聞いて入信したらしい、と聞いてますが、伝聞なので正確なところはわからない。

2008年のアルバム『タマで弾き語り』に収録されている「走れメロス」は、創価学会の子どもたちが歌う用に、10代の谷山浩子が提供した曲。
このアルバムに収録されるまでは、創価学会にしか音源(ソノシート)がなかったんじゃないかな。

それまでは、谷山浩子が学会員であるというのは「ファンはなんとなく知ってるけど、あえて話題にしない」程度のことだったんですが、この『タマで弾き語り』のアルバムに「創価学会へ提供した曲である」ということが明記されたため、かなり驚きました。

ちょうどその頃(2009年?)、聖教新聞に谷山浩子が登場し、夫を入信に導いたと語っているそうです。もちろん私は実物を読んでないけど。
そのためか、当時の猫森集会には、熱心な学会員だといわれる久本雅美が花を贈っていた…という話も別のファンから聞きましたが、これも私は確認していません。

50歳を超えて心境の変化があったのかなぁ、これくらいの年齢になると仏教の勉強を始める人って珍しくないもんなぁ、と思って見てました。
それ以外では、特に創価学会の話題を谷山浩子が口に出したことはない(少なくとも私が知っている範囲では)

ただ、
「自分がもともと創価学会員なので、その経由で浩子さんの曲を知ってファンになった」
「昔、浩子さんが入信したからという理由で創価学会に入信しようとして、すぐにやめて創価学会の悪口を言っているファンがいた」
という話を聞いたことはあります。

あと、Twitterで浩子さんのアカウントに、延々と公明党の動画のURLを送りつけるファンは見たことがあります。
有名人は大変だな…。