Kindle書評『物語ること、生きること』と『イザベラ・バードの旅』

ネットするよりも読書しよう、という(人生で数えきれないほど何度目かの)心境に至って、読書にいそしんでおります。
というわけでブログのネタが本の感想ばっかりやな。

本日は、講談社のポイント還元セールでぽちった2冊です。
感想いってみよー。

上橋菜穂子『物語ること、生きること』


『獣の奏者』でおなじみ上橋菜穂子が、作家になったいきさつを語るエッセイ。

経験すること、そこから何かを感じとることが大事

おばあちゃんの語るお話を聞くのが大好きだった幼い頃。
本を読むのが大好きで、ずっと本ばかり読んでいて、さらにはストーリーをつくった「ごっこ遊び」も好きだった子ども時代。
なんか親近感を覚える…。

理想を掲げて声高に自分の主張をする人間は、しばしば、そういう己の傲慢さに気づかないものです。
のぼせやすく、そのことで失敗ばかりしていた私は、自分が、そういう人間になってしまうことをなによりも恐れました。

頭でっかちなところのあった著者に対して、お父さんが一喝するという一幕もありますが、多分そういう「気づかされる瞬間」がなかったら、彼女はこうして自分を駆り立ててはいなかったのではないかと思います。

作家になりたい。こんな話を書きたい。
でも、自分は「夢見る夢子さん」なんだろうなと自覚していて、このままではいけない、思い切って動かなければ、と。

また、著者は文化人類学者としてアボリジニの研究も行っているのですが、フィールドワークって体力勝負よね…。
オーストラリア大陸を車で突っ切り、感情を持って今まさに生きている生身の人間と対面する。

私の恩師や、同じゼミの人も、トルコ、モンゴル、キルギスタン、スリランカなどで調査をしていて、まじすげぇな…と思いながら見ていたものです。
(研究テーマは各自バラバラだったので、私のようにフィールドワークをしない学生も多かった)

「上橋。この論文、ひどいよ。ひどいけど、俺、こんなに何かがある修士論文を見たのは、久しぶりだよ。足りないところは山ほどあるけど、いいよ。おまえ、研究者になりなよ」

個人的に、めっちゃウケたのが、この台詞。

作家になりたいけど、その見通しが立たない。
しかし、作家を目指しても、研究者を目指しても、どちらも生き残るのが厳しい職種で、そもそも生計を立てられずにフリーターもどきとなって終わる可能性が非常に高い。どうしよう。

それでも覚悟を決めて研究者を目指し始めた矢先に、彼女の作品を評価する編集者が現れます。
その編集者にバシバシとしごかれて、作品が世に出始めるのです。

宮本常一『イザベラ・バードの旅 『日本奥地紀行』を読む』


世界中を旅行して紀行文を書いたイギリス人女性イザベラ・バード。

彼女が明治初期の日本を旅してまわった時の『日本奥地紀行』という本があります。

これを題材にして、『忘れられた日本人』で有名な民俗学者の宮本常一が生前に講演しており、それを収録した本がこちら。
もともと宮本常一の講演をまとめたシリーズが別にあったらしく、そこからイザベラ・バードの部分を単体の本として出し直したようです。

『忘れられた日本人』、懐かしいわ…。
小学生だか中学生だかの頃に、父から岩波文庫の本を借りて読んだわ。

なんというか、まさかこんなところで出会うとは。
読書面に関しては、本当に恵まれた環境で育ったのだと思います。

まだまだずっと貧しい国だった頃の話

いやー予想通り面白くて、ハイライトの嵐でした。
ちょっとだけ引用しようと思っても、えらい量になってしまう。

全般としては、蒙古系の、それも訓練されていない馬が多かったのです。そのために、日本では江戸時代、ついに馬車が発達しなかったのです。

けっこう最近まで、日本の馬は小さな馬ばかりだったそうです。
扱いについても、轡(くつわ)を持っているのは武士だけで、普通の人々は馬を乗りこなすことができなかった。荷物を運ばせる時も一列に馬を並べて、先導する馬を用意して、そのあとについて歩かせる形だったとか。

まず坐る姿勢が胸を凹ませ、われわれの作業がすべてうつむき加減に仕事をするということと深い関連があると思うのです。そしてイギリス人の目には、胸をすぼめているということが、いかにも貧弱に見えたということです。

イザベラ・バードは日本人の外見を非常に辛辣に語っているのですが、当時の日本人は胸を張ることがなかったので、いっそう貧弱に見えたのだろうと宮本氏は解説しています。
ということは皆、猫背だったんでしょうね…。

同じ黄色人種だけれど、座るということがなく腰掛けていたということから中国人は背が高かった。と同時にその当時までは日本人よりも中国人の方を日本人自体が高く評価していた。


その頃から、はっきり説明することもなく頭ごなしに叱りつける大人が多かったってことですね、日本人…。
そういう理不尽なことがなくて、給料もいいから、中国人の家で奉公できる人はそれを誇りにしていたと。
中国人に対するあこがれや敬意がひっくり返るのは、日清戦争以後だそうです。

これは着物をできるだけ汚さないようにしようという考えから、働いている時には汗が出るので裸になったのだと思います。

着物をできるだけ汚さないようにする。それは洗濯するといたんで早く破れるからで、着物の補給がつかなくなるのです。

当の日本人にとっても着物は非常に動きにくいものだったらしく、特に夏は裸や半裸ですごしている人も多かったとか。
(袴も非常につらかったらしい。礼服って基本的に快適じゃないよね…)

そして、着物をつくるのに大変な労力がかかるため、ほとんどの人々は着物をろくに持っていない。中流程度の家庭であっても1枚しか持ってなかったりする。
当然、毎日ずっと同じ着物を着て、あまり洗わないから不衛生で、そのせいで皮膚病になる人も珍しくなかった。
(お風呂も大都市以外ではほとんど普及しておらず、皆けっこう汚かったらしい。私の父も子どもの頃は皆もっと汚くて栄養失調気味だったと話してました)

また、戦後にアメリカ軍がDDTを散布しまくるまでは、日本は家の中でも外でもノミが大量にいた、夏には寝不足になるほどだったという話が何度となく出てきます。
当時の日本人に病気が多い理由のひとつも、そのへんが関係しているようです。
いやー…アメリカが日本に与えたものって大きいですね…。

また、イザベラ・バードはアイヌの村に行って、あれこれ話を聞いたり、彼らの様子を観察したりしています。
一方、彼女と一緒にやってきた通訳の伊藤(東京出身の日本人)は、「アイヌは人間と犬のあいのこだ」と言って、非常に嫌がる。

当時の日本人はかなり物見高かったようで、バードがやってくると「異人が来たぞ!」と言って彼女のもとに殺到した。
彼女が宿に泊まると、となりの家の屋根にずらりとのぼったり、宿の庭に入りこんだり、勝手に彼女の部屋のふすまを開けたりして、珍しい外国人を見ようとした。

しかし、アイヌの人々はバードを珍しがることもなく、割と無関心な態度をとる。
アイヌがどんどん数を減らしていったのは、そういう態度(というか習性)も一因だったのではないか、と宮本氏は考察しています。

やがて日本人がアイヌを追いたてていってアイヌのいる場所がなくなるのは、別々に住み分けないで同じ所に住んだということにあるのではないか。そして日本人がだんだん増えてくると、アイヌはそこに住めなくなってくる。もう一つは、すごい混血が起ってくる。

北国へ移住してきた日本人は、アイヌの村の近くに住み着き、少しずつ彼らの世界を侵食していった。
もし、最初の段階でアイヌの人々が無関心な態度をとらず、近くに住もうとした日本人に抵抗するなどすれば、ここまでアイヌは減らなかったのではないか、というのが宮本氏の意見。

巻末には、赤坂憲雄による解説「差別とは何か、という問い」が収録されており、バードがなぜアイヌの人々にこれほどまで関心を示したのか、その背景を考察しています。
当時、アイヌは白人ではないかという説があり、白人であったバードは、アイヌを日本人よりも優位の人種であると考えていたようなのです。
実際、バードの文章には、アイヌをヨーロッパ人に似ているとして賞賛するような表現も出てくる。

おそらく、バードの眼前には、高貴で美しい文明人としての白人/文明に足を踏み入れるなかで堕落した日本人/高貴で美しい未開人としてのアイヌ、という構図が横たわっていたのである。

伊藤という十八歳の若者は、アイヌの人々に啓蒙的に接するバードの姿に苛立ち、バードに向かってアイヌにかかわる差別的な言葉をぶつけている。バードにはいったい、偏見というものがまったくなかったのか。はたして、バードと伊藤のどちらがより深く差別的であったのか、なかったのか。

サイードの『オリエンタリズム』とか、19〜20世紀のいろんなものを連想しますね…。
「鼻の低い人間はこういう性格だ」とか、ああいうアレですよ…白人以外の人種を「こんな外見をしているのは、奴らが劣った人種だからだ」とのたまう言説ですよ…。

余談:今読んでいる本

再び洋書のターン。
ピーターラビット全巻の原書『Beatrix Potter Complete Tales』です。

いくら絵本とはいえ、洋書で、しかも全巻だから時間かかりそう。