Kindle書評『Amazonで変なもの売ってる』と『王子様と灰色の日々』

読み終わって感想待ちのKindle本がたんまり溜まっている昨今です。
いやーもう、Kindle Fire HDXに買い替えてからの読書のはかどりっぷりが半端ない…楽しい…。

あと仕事面でストレスがあると(10日くらい不眠になった)、てきめんに読書への耽溺度が上がりますね。超わかりやすいね!

というわけで、さっくり感想書いてくよー。

谷山浩子『Amazonで変なもの売ってる』


谷山浩子、久々の小説。
Amazonの名前を堂々とタイトルにつけてるぜ!
(もともとはAmazonのコンテンツとして連載していた小説なのです)

紙の本が出た当初から、これはもう確実にKindle化するだろうとふんでいたのですが(浩子さん本人もKindle Paperwhiteで読書しまくってるし)、やはり出ました。
予約注文して、発売日当日の0時にダウンロードしたよー!
多分、1000円以上するKindle本をぽちったのは、これが初めてじゃないかと…。

相変わらずの不条理、意味不明、でもどこか明るい

予想通り、意味不明なファンタジーが展開して、誰もが納得するわかりやすい起承転結などはありません。
むしろラジオドラマ化された『悲しみの時計少女』みたいな作品の方が珍しいのかなって感じ。
(こっちもKindle化を切に希望しております…)

どちらかというと、これは新規の読者を開拓するというよりも、既存の谷山浩子ファンが読んで、あーでもないこーでもないと谷山浩子ワールドについて語り合うための本だなと思いました。

ただ、油断していると面白い表現が出てきて、ニヤリとしてしまう。

お母さんは威勢のいい風のような人で、お父さんは風に飛ばされる新聞紙のような人だったので。

お父さんとお母さんの力関係を、なんともユーモアのある言い方で説明。

ミカルも芝居がかったセリフを吐きながらついてきたが、途中で足を止め「結界が……」「卑怯な……」などとつぶやいたあと急に無口になって、それ以上そばに寄ってこなかった。

厨二病とか邪気眼とかいう単語が私の脳裏をよぎった。やめてあげて!

「トップシークレットです。社長も知りません」
「社長も知らないトップシークレット……」

Amazonの秘密について語られる場面。ジェフ・ベゾスも知らないAmazonの真の目的ww

あと、この本の感想については、下記のカスタマーレビューが1番面白かったです。

きっと深いようで全然深くない。キャンディーヌの正体がただのデカイ人形だったのと同じだ。銀河の青いSAVAが結局鯖だったのと同じだ。人魚が歩けないのは魚だからだ、単に!

「人魚が歩けないのは魚だからだ、単に!」っていうのが、じわじわくるw

※このレビューは「キャンディーヌ」、「何かが空を飛んでくる」、「人魚は歩けない」という歌がネタ元になっていて、ファンには意味が通じる感想になっている。
※レビューのタイトルが文字化けみたいになっているのは、この小説自体のネタに由来。

山中ヒコ『王子様と灰色の日々』全4巻





BLでデビューした山中ヒコが、少女漫画に挑んだ1作目、だったような。

1巻だけ、Kindleストアが日本に上陸した直後(2012年11月)にぽちって読んでました。
Kindle Fire HDXが届いて、64GBだし漫画いっぱい入るぜーイエーイと思って過去に買った作品を読み返してるうちに、この漫画も4巻まで買ってしまいました。何の罠だ。

派手になりがちな展開を、どこか静かに描く少女漫画

由緒正しい名家(そして超金持ち)の跡取り息子と、彼にそっくりの顔を持つ底辺貧乏暮らしの女子高生(お母さんはいなくて、お父さんは無職で飲んだくれてる)
ある日、跡取り息子が出奔し、彼の世話役の少年は、彼女に身代わりのバイトをしないかと持ちかける。

跡取り息子・至の台詞や態度や人づきあいを叩きこまれ、それでも「こんなにやさしくしてもらえたの初めてだ」「バイトだから、ちゃんとやらなきゃ」みたいな感じで必死に食らいつく女子高生・敦子。

他の人間に正体を見破られそうになったり、世話役として彼女にすべてを教えこむ少年・遼に対して感情がゆらいでしまったり。
家出した至は至でいろいろあったりするわけですが。

こういう設定の漫画にありがちな、派手で騒がしい演出がなくて、落ち着いて読みやすかったです。
多分、絵柄の影響が大きいんだろうな。

…書いてるうちに、デビュー作だった『王子と小鳥』も読み返したくなってきたので、ぽちろうかしら。

余談:最近読んだシリーズものの最新巻

『乙嫁語り』7巻


今までとかなりちがう描き方だったので、表紙を見てびっくりしました。
(8巻からまた元に戻るらしいです)

「姉妹妻」の風習って、男と女の生活圏がはっきり分かれている社会ならではの仕組みなんだろうなぁ。
社会から隔離されてると、いろんな鬱憤が溜まってしまいがちだけど、それを「誰よりも親しい、魂の伴侶的な女友達」という存在が補ってくれるという。

姉妹妻ほどではなくても、似たような風習ってよく見かける気がします。
たとえば『赤毛のアン』では、アンが親友ダイアナのことをものすごく愛していて、親友の誓いを立て、「彼女が結婚したら泣いてしまうわ」と嘆いている。

19世紀〜20世紀初頭のアメリカでは、将来をともにすると誓い合ってふたりで暮らす女友達同士のことを同性愛とはみなさず、褒めたたえるべき「麗しい友愛」と考えていたらしいよね。
(ただし、求婚する男性が現れると、ふたりの関係を続けることはできなかった)
リリアン・フェダマン『レスビアンの歴史』に、詳しい話が載ってますよ。

日本でも、処女性が強く要求されるようになった明治以降に、女学生のあいだで似たようなもの(女友達同士の強すぎる絆のあれこれ。エスとか少女小説とか)が流行ったそうですし。
そういう意味でも、姉妹妻の話は特に変だとは感じなかったし、むしろ「この地域でも似たようなものがあるのか!」と思った。
今はないらしいですけど。