Kindle書評『聖書を語る』と『自分でつくるセーフティネット』

遅くとも先週には読み終わってて、ブログ書きたいなーって思いながら、なかなか書けずにいた感想です。

今回は2冊とも小説じゃなくて、2冊とも読みやすい形式の本です。
前者は対談本だし、後者は読みやすさ・とっつきやすさを意識して平易な語り口で書かれた本だし。

掃除や片づけと同じで、こういう「書きたいけど書けずにいるコンテンツ」も、とりあえず書き始めたら最後まで書けちゃう。
いつも下書きしているSublime Textに、書こうとしてる記事のタイトルだけ先に書いてあるんだけど。
そのあと、見出しを書いて、本のAmazonリンクを貼り始めたら、自然と書くモードになってくるよ。

てなわけで、いってみよー。

佐藤優、中村うさぎ『聖書を語る』


以前、書店で文庫本を手にとって「これは絶対に面白い」と確信した本。
Kindle版が出たので読んでみたら、案の定とても面白かったです。

中村うさぎ、カルヴァン派と村上春樹にツッコミ入れまくる

カルヴァン派の洗礼を受けている佐藤優と、バプテスト派の洗礼を受けている中村うさぎ。
それぞれの宗派のちがいについて佐藤優が説明し、中村うさぎがツッコミを入れまくるところから、対談はスタートします。

この中村うさぎが、とてもいいのです。
恐らく一般的な日本人読者が抱くであろう「天国のノートなんて冗談じゃねえよ」とか、そういう感覚を代弁して、ちょっとケンカ腰くらいの勢いでツッコミ入れてくれるのね。だから非常にわかりやすいの。

んで、聖書が現在の形にまとまったのは、イエスが亡くなってから340年ほどあとのことだった、という事実に対して、中村うさぎがツッコミを入れるわけですよ。
「さすがにそれだけの時が流れたら、まだイエスの再来がない、イエスはすぐ来るって言って昇天したのに来ない、おかしいぞ?ってさすがに疑い始めるでしょ。なんで信じてるの?」って。
それに対して、佐藤優はこう説明している。

当時の人たちとは時間の流れの感覚が違うからです。一年一年同じように年輪が重ねられていると感じるのは、我々近代人だけです。

数字で計算すると340年って長いけど、人間の脳内では10年前のことも昨日のことも一緒くた。思い出というものは、時間の流れではなくてエピソードが強烈な順番に並んでいる。聖書というものは、脳内の感覚なんですよ、と。
これ、面白い指摘だなぁと思った。

あと、失われた聖書がたくさんあるという話や、誤訳のせいで聖母マリアが処女ということにされてしまった(本当はちがった)という話は他の本でも読んだことがあるんですけど、Q(クヴェレ)と呼ばれる謎の福音書の話は初めて聞いた。
エヴァの新劇場版の3作目が序破急の急じゃなくてQになったのは、この福音書とも関係あるのかなー。

このQについて、佐藤優がこんな話をしている。

その「Q」の内容が、コンピュータ解析などを使ってほぼ確定できるところまできたんです。ところが、そうして明らかになった「Q」に奇跡物語はなかった!

ラザロのよみがえりも、イエスの復活も出てこない、ただイエスの教えだけが書かれている話だった(そして福音書の中でも早い時期に書かれたものだった)という。

このQの話から、話題は村上春樹に移るんですけど、中村うさぎがボロカスに叩いてて大変面白かったです。
いくつか紹介してみるー。

私、純文学を読み終わったあと、ときどき「だから何?」って呟いちゃうんだけど、「だから何?」的な文学、大っ嫌いなの。間違っていても下手糞でもいいから、答えを出そうという悪あがきが描かれてればいいんだけどさ。

なんで純文学って、あんな不健康そうな話が主流になっちゃってるんだろうね。
ちなみに、中村うさぎは、答えを出そうと悪あがきしている作品としてエヴァを絶賛しており、それを聞いた佐藤優は実際にエヴァを見てみたそうです。

審査の席で「男のハーレクインだろ、官能小説って」と言ったんだけど、それと同じなんだ、村上春樹は。私だったら、十歳のとき好きだった男の子とめぐり逢っても、SEXしたいとは絶対思わない。女のリアリティはそんなとこにはないですよ。だから私、村上春樹の書く女が嫌いで嫌いでしょうがない。

このたとえ、めっちゃわかりやすい!
官能小説が男のためのハーレクインっていう指摘、なるほどって感じ。
それに子どもの頃に好きだった男と再会しても、触りたいとか全然思わんわー。むしろ会いたくないわー。
(女性と比べて男性の方が「大人になって再会したら見事に体型崩れてただのおっさんになってた」率は高そう)

夏目漱石の『虞美人草』のあの藤尾というヒロインは、リアリティがあってけっこう好きなんだが、あれは女装した夏目漱石だと思うわけ。中身が夏目漱石。ああいうふうに女に自己を投影して書くと、男の作家が書いても女にリアリティが出ると思うんですよ。しかるに村上春樹というのは、女に一切自己投影しない。男に都合のいい女、天吾にとって都合のいい女でしかないじゃん。

がぜん、『虞美人草』に興味が湧いてきました。
中村うさぎが「リアルティがある」って言うヒロイン、読んでみたくなるじゃないですか。

最終的には、佐藤優が「こういう書き方をしていて、こういう解釈ができて、だから村上春樹は世界中で読まれてるんですよ云々」とフォローをするのに対して、中村うさぎ、こう言い放ってました。

そんなことは知らん。じゃあ仕方ないねっていうほど私、村上春樹にやさしくないので。

いいぞもっとやれ。

あと、他に面白かった部分を、ちょこちょこ引用してみるっす。

セックスなんて、他の獣たちもガンガンやってるじゃん。なのに何故、獣たちはエデンの園から追い出されず、人間だけが追い出されたの? 神を怒らせた罪はセックスじゃない、「股間を隠す」という羞恥心、すなわち「他者の目を意識したこと」だよ。

知恵の実って、そういうことだったのか!

人は強烈な生き方をした人を見ると、それが伝染するんじゃないか。その生き方を否定しようがしまいが、影響を受けてしまうわけですよ。
(中略)
意識して頭で考えての行動は、人間の行動領域のごく一部なんです。その大半は、この伝染による行動のような気がしているんです。

人間、言葉にならない部分で動いてる方が、大きいんだろうなって思うの。
「伝染」というのは、わかる気がする。

何かの作品を書いて、あとから、実はこういうことを伝えたかったんだと説明してみても、必ずズレが出てくるでしょう。そのズレなんですよ、神様というのは。

語ろうとしても、語ることができない。人によって受け止め方が変わってしまう。そのズレには必ず何かの特徴があって、それを人は神と呼ぶ、と。
佐藤優が以前から中村うさぎに注目していたのも、くり返しくり返し、何かの特徴を持ったズレが、中村うさぎの書くものに出てくるからなのだそうです。書いている本人は意識していないけれども。

そういえば、こないだ友達に会った時、
「とりちゃんの書く小説は、三浦しをんの影響を受けてるね」
って言われたんですよ。
自分では全然気づいてないし、そこまで三浦しをんを読みこんでないのにマジで?!って思ったんだけど。
書いてる本人はわかんないけど、第三者が読むとわかることって、たくさんあるんだろうな。

怒れる神の趣味はジェノサイド(大虐殺)

しゅ、趣味wwww

佐々木俊尚『自分でつくるセーフティネット:生存戦略としてのIT入門』


毎朝8時、気になる記事をコメントつきでツイートしている佐々木俊尚さんのKDP本。
日替わりセールを待って、ぽちりました。

ピュアな人ほど、人のあら探しをする

基本的な主張は、日頃からご本人がツイートしておられるので、あまり目新しさは感じなかったです。
(そりゃそうだ)

自分をさらけだすツールとして、Facebook一択がおすすめされてるのは、ちょっと私の感覚には合わないかなーと思ったけど。
(私や周りの人は、仕事のためにFacebookのアカウントを持ってる人が多いので、基本的に社長や取引先に見られても大丈夫そうなことしか書かない。仕事関係のニュースとか、技術系の記事のシェアとか)

そのかわりに、私はこうしてブログを運営しているので、いろんなことが周りの人にバレてるし、ライブ会場で初めて会った人から「ブログ見ました」って言われるし、私にとってはブログ(及び連携しているTwitter)が「自分をさらけだして弱いつながりを生む手段」になってるんだろうなーと思う。

個人的にはっとしたのは、この指摘。

個人情報がたくさん集められると、ビッグブラザーに監視される社会になるんじゃなくて、企業から無視され、黙殺される社会になるんです。

「この人、年収あんまりなさそうだし、高額商品の広告を出すのはやめよーっと」ってことです。
どんな広告が出てくるかによって、市場における自分のスペックを認識させられる…つらい。
ちなみに、私はFacebookにログインすると、結婚指輪の広告ばっかり出てきてイラッとした時期がありました。いらねえ。

また、震災後にやたらと強調されて持ち上げられている「きずな」が、同調圧力と同じものであるとも書かれています。
仲間を超大切にする『ONE PIECE』の熱い台詞を引用しながら、こう語っている。

こういう強いきずなや友情は、もちろんたいせつです。でもね、水を差すようですが、こういう強いきずなは、時としていじめやブラック企業のようなものも生み出しちゃうことがあるんですよ。

私がジャンプ漫画といまいちノリが合わないのって、これも一因なんだろうなぁ…。
だって、暑苦しい主人公に向かって「私はそう思わないけどなー」って軽く言っただけで、裏切り者扱いされそうだもん。なんでそんなに極端なんだよ、器のちっさい男やな!って思いますよ。

あとね、高校生の頃から薄々「そうだよな」って思ってたことが、この本にも書いてあった。

成熟というのは、ピュアであることから脱し、汚れも自分の人生の一部として引き受け、そういう灰色の地点を自分の居場所として納得させるということ

若さというのはいつまでも自分がピュアであることにこだわり続けることなんじゃないかと思います。灰色であることを拒否して、自分が清らかな場所にいるということ。空想の中で自分を理想化していれば、自分の汚いところや自分のダメなところを直視しないで済む。

ピュアな人ほど、人のあら探しをする

私が小学生の頃、オウム真理教の事件があったのです。
んで、宮台真司が、道端でビラ配りをしているオウム真理教の信者に話を聞いた時のエピソードを、高校生の頃にどこかの本で読んだのね。

最後の方で、白い服が好きなんですか?って宮台真司が聞くと、信者の女性は身構えていた表情をやわらげて、
「好きなんです。自分も白くなりたいんです。清らかになりたい」
みたいなことを答えたと。

でも、生きるというのは、白でも黒でもない、グレーであいまいな部分を受け止めていくことなんじゃないかな、という感じで話は終わっていた…気がする。

高校生の頃の私は、ピュアな人ほど残酷だよなーと漠然と思っていたので、この話が非常に印象に残ったんですよ。
まさか三十路になってから、似たような指摘をもう1度、別の本で見かけることになるとはなぁ。

そういう私が、グレーな自分と他人を受け入れて大人になっているかというと、まだ自信ないんですが…。

ただ、ネットを見ていると、確かに潔癖な人って、いつも怒ってるよなぁ、すぐ激高してツイートしてるよなぁ、とは思う。
相手を許さないのよね。自分は正しい!っていう主張がにじみでてる。
こういう人と一緒にいるの、しんどそうだなって思う。
ピュアな人と生活をともにすることはできない。だって私は欠点のある、ただの人間だから。

余談。
少し前に、小野美由紀さんが、佐々木俊尚さんに超個人的な自分史などをインタビューしておられて、非常に興味深く読みました。

それに関する小野美由紀さんの記事はコチラ。