Kindle書評『本は死なない』と『ケルトの薄明』

ほしいものが全然思いつかないので、持ち物は増えなくなりました。
…が、Kindle本は油断した頃に次々とぽちっちゃうので、積ん読がなくならない。目に見えない持ち物が増えてるよ…!

先日のオフ会の際、他の人からKindle Fire HDXを見せてもらって気づいたのですが、私の初代Kindle Fire HDはコレクション機能が使えない。コレクション機能に切り替える選択肢そのものが出てこない。
おかげで、クラウドに入ってる自分の蔵書一覧を表示させると、ひたすら新しい順にカラフルな本の表紙がズラズラと並ぶので、なんだか散らかった印象に…。うーむ、残念だ。

以前はKindleでTwitterしたり、YouTubeを見たり、普通のタブレットとして使っていたのですが、最近は読書専用端末として使っています。読み終わってor新しい本を買って同期する時だけ、Wi-Fiをつないでる。
そうすると、Kindle端末そのものを「本」として認識するようになったので、iPhoneのKindleアプリは使わなくなってしまいました。ガジェットじゃなくて本。わざわざ古い洋書のような革のカバーをつけてるのも、これを「本」だと思ってるから。

そんなこんなで積ん読増加中のKindle沼から、本の感想いってみよー。

ジェイソン・マーコスキー『本は死なない Amazonキンドル開発者が語る「読書の未来」』


Kindle開発者が、開発までの話と、その後について語っている1冊。
お高いなーと思ったけど、ポイント還元がついてたので、ぽちっとな。

紙の本とて寿命は短い

まず最初に興味深く感じたのが、紙の本の歴史と耐用年数について。

印刷技術は耐久性を下げながら利便性を高める道を辿ってきた

書物に関する技術は、見方を変えれば退行しているとも言える。文字データは世界中で右肩上がりに普及しているが、耐用年数はハムスターやネズミの寿命と変わらない。

当時は写本で文献の複製が作製されていたのだが、写本は非常に手間と時間がかかるため、写字生がすべての文献の複製を作製することは困難だった。そのため彼らが重要度が低いと判断した文献や、羊皮紙の在庫が足りない文献に関しては、複製が作製されなかったのである。

粘土板や羊皮紙に文字を記録するよりも、すぐに色あせて虫に食われて湿気に負けてボロボロになってしまう薄い紙に記録した方が、大量に生産できるし、安上がりだし、普及しやすい。言われてみればその通り。
そして、写本がつくられなかった本は、後世に残らず、失われていく。旧約聖書は「全体の46パーセントが消失している」らしい。そういえば、孔子の『論語』もかなり変わっちゃったらしいよね。数百年前の『論語』ですら、すでに現代と異なる内容だったと聞いたことがある。

また、過去の偉大な図書館(例:アレクサンドリア図書館)が戦乱などであっけなく失われてしまった話にもふれている。
私の中では、アレクサンドリア図書館の最期について、小学生の頃に読んだカール・セーガン『COSMOS』に刷りこまれた知識が強すぎたので、「あれ、最近はこういう解釈になってるのか。それともこの著者が別の資料を参照したせい?もしくは私の覚えまちがい?」って不思議に思った。

電子書籍については、「データなんて信用できない」「ストアがなくなれば本も読めなくなる」という根強い反対意見があるんですが、紙の本だってけっこう、はかないものだよね、という。

また、新しい技術に対して反発する人は、いつの時代にも存在する。

16世紀の富裕層は、総じて印刷技術を使って作られた本は読みたくないと考えていたという。それまでは文章を手書きで書き写した「写本」が本の主流だったのだが、その写本と比べ、印刷された本は人間味に欠けると考えていたためだ。

結局のところ、デジタルでもアナログでも文章を永遠に残しておくことはできないのだが、デジタルなら少なくとも当面のバックアップを確保することはできる。

映画やドラマといった映像作品も、フィルムをおさめた倉庫が火事になったりして、どんどん失われていく。永遠なんて、ないのよ。

他にも、今後の電子書籍の普及にかかわる課題や、紙の本がいまや絶滅危惧種となっていること、だからこそ紙の本に装飾を施し、アートとして残そうとする動きが出ていること、未来の本とはどういうものになるのかといった予想など、面白い話がいっぱいでした。

個人的に、1番笑った表現はこちら。

アマゾンに対する各出版社の気持ちには愛と憎しみが入り混じっている。キンドルが発売される前から、両者の関係は長い倦怠期に悩む熟年夫婦のようにもつれていた。もう何年も言い合いが絶えないが、だからと言って別れることもできない。

ウィリアム・バトラー・イエイツ『ケルトの薄明』


アイルランドといえば、イエイツ。
ケルトの妖精に関する話をまとめた本も出ていますが、この本はどちらかというと、イエイツの体験や、イエイツがどこそこの誰それから聞いたという電文をまとめており、不思議な透明感のあるエッセイのようになっています。

古き良き世界を淡々と描く

これ、私が小中学生の頃だったら、夢中になって読んだと思う。
小学生の頃は『ナルニア国ものがたり』も『指輪物語』も読んでたし、イギリスの作家が書いたファンタジーや児童文学をよく読んでた。妖精の話も好きだった。
(正確に言うと、イギリスとアイルランドは同じじゃないけど)

そこから派生して、現代の女の子と妖精王が恋に落ちるという、いわゆるティーンエイジャー向けのロマンス小説も読んだことある。確か『妖精王の月』っていうタイトル…表紙のデザインがケルト風で、すごくよかった。でも恋愛の話だったから恥ずかしかったよ…(そういう時代が私にもありました)
さすがに絶版だった↓

で、このイエイツの本。
あぁ、懐かしいなぁ…こういう味わいの本を久しく読んでなかったなぁ…と思って、じーんとした。
激しい感情の表現も、ドラマチックさも、どこか酔いすぎたようなノスタルジーも、ここにはない。妖精と遭遇する話はドラマチックにちがいないのに、彼は淡々と描く。そう、当たり前の日常を書きとめるように。
その地方の人々にとって、妖精の存在が当たり前であることと同じように。

妖精の国は美しくて楽しいけれども、妖精に連れ去られてしまうと、人間は最後の審判の時に復活できない、という話が出てきて驚いた。へー、そういうことになってたのか。

霊魂というものは、悲しみなしには生きられないからだ。

だから、人間の魂は復活できなくなってしまう。なんて詩的な理由…。

アイルランドといえばカトリックの国だけれども、敬虔なカトリックであることと、妖精を信じることとは、彼らの中で矛盾していない。

その土地の老婆は夕暮れに戸口に立って、彼女自身の言葉によれば「山々を眺め、神のみ恵みを思う」とき、異教の力が近くにあるからこそ、神はなおさら身近にましますと言っている。

深い言葉。

あと、個人的に1番はっとしたのは、以下の表現。

人々の想像力というものは、夢想的なそして気まぐれなものに宿っているからで、その夢想や気まぐれを、悪とか善とかに結びつけるなら、その生命の息吹ともいえる、自由さが無くなってしまうからだ。

なお、電子書籍化の際の変換ミスと思われる誤記が4ヶ所ありました。