Kindle書評『肌断食』と『科学するブッダ 犀の角たち』その他

相変わらずKindleでいっぱい積ん読しちゃってますが、私は元気です。
去年に比べたら、かなりマシになった。もともと好きだった作家とか、前からずっと気になってた本とか、そういうのだけ、ぽちるようにしてる。
それでも積ん読してるんですけどね!

さて、今日の本も当たりですよー。面白い本がいっぱいあるのう。

平野卿子『肌断食 スキンケア、やめました』


化粧がお肌に悪いのは、よく言われている話ですが、これは「スキンケア用品だってお肌を破壊してるんやで!」という事実を、自らが実験台になってつづったエッセイ。
ちゃんとお医者さんが監修に入ってます。
文章が面白いのもあって、読みやすい。

スキンケアで、肌は老化する

とりさんは化粧をしない人ですが、スキンケアは(適当なりに)やってました。
安い化粧水と乳液をつけて、その上から日焼け止めを塗ってた。

でも、この著者と同じく、私も以前「化粧水は肌に悪い」という話を聞いたことがあったんですよ。学生時代の知人が、皮膚科のお医者さんに「化粧水も乳液も本当はやめた方がいい」と言われた話をブログに書いてたので。
なのに、ずっと使ってた。
著者が何度も書いているように、化粧水や乳液をつければ、お肌がぷるぷると潤ったように思えるから。実際には、液体が肌の上に載っかってるからそう見えるだけで、お肌そのものは全然ぷるぷるになっちゃいないんだけど。

化粧品に含まれる界面活性剤は、せっかくのこのバリア機能を破壊して浸透し、肌を乾燥させ老化させてしまう。皮肉なことだが、そういう意味では、「お肌にしみこむ」といえるのだ。

肌は体内に何かを取り込む入口ではなく、排泄器官であることを忘れてはいけません。

外界のさまざまな刺激を遮断して、潤いを保つ、肌本来のバリア機能を、化粧水や乳液に含まれている界面活性剤(シャンプーでおなじみ)が、破壊してしまう。
逆に言うと、バリア機能が正常に働いていれば、化粧品が「お肌にしみこむ」なんてことは起こらない。

気候や気温と肌のバリア機能はきわめて密接な関係にある。
だから、気温が下がったら身体を温めれば、バリア機能への影響も少なくなる。

外から何かをつけて肌を保湿することはできない。

お肌をよくするためには、内側から…!
健康的な生活(夜更かししないとか)をすること、スキンケアをしないこと、あとは日焼けを防止すること。

その日焼け対策についても、「日焼け止めを塗ることは、お肌にかなりの負担をかけるので、できるだけ使わない方がいい」と述べている。
普段は日傘をさしたり、長袖の服を着たり、日陰を歩いたりして紫外線を避ければいい。
顔には、おしろいやパウダーファンデーションを塗る程度でいい(石鹸でさっと落とせるし、リキッドタイプの方が肌に負担をかけるため)
外で長時間すごす場合は、ワセリンを塗った上から日焼け止めを使えば、肌への負担も減らせるよ、と。

…化粧しないので、おしろいも持っておりませぬ…。
ひとまず、無印良品で、自分のファッションに合わせやすい、つばが大きめの帽子を買った。

もともと、著者は大変ずぼらな性格だったらしく、「スキンケアをしなくて済むなら、めっちゃくちゃラクになれる!」くらいのノリでスキンケアをやめ、シャンプーも石鹸もやめてみたらしいのだが、3年たっても何の不都合もなく、むしろ快調とのこと。
(ずぼらエピソードの数々に笑ってしまった)

外へ出る時は、スキンケアをせず、直接おしろいを塗って日焼けを防止したり。
化粧が必要な時は、スキンケアをせず、ワセリンで肌を保護してからファンデーションを塗って、ポイントメイクしたりしてるらしい。
(目元と口元だけ塗っとけば、すっぴんでも化粧してるように見えるよね)

実際に試してみた

私も1週間ほど前から、化粧水と乳液と洗顔剤をやめてます。

お肌のさわり心地は、かさついてるんですよねー、やっぱり。始めたばっかだし。
ただ、見た目はあんまり変わらない。もともと化粧してなかった上に、スキンケアもさぼるタイプだったから…。

おしろいや日傘を持っていないので、まだ日焼け止めを手放せていない。
一応、ワセリンで肌を保護してから、日焼け止めを塗ってる。早く手を打ちたいところ。

ちなみに、ワセリンはジャータイプのものがおすすめです。
私は以前買った、チューブタイプのワセリンを使ってるんですが、冬場は気温が下がってワセリンも固まってしまい、取り出せなくなったので…。

あと、シャンプーやコンディショナーもやめました。
今までもお風呂は2日に1回だったんですが、シャンプーをやめてお湯だけで洗ってても、特に不都合ないです。ちょっと髪がパサパサしてるかなー程度。

乾燥肌のため、石鹸やボディソープも普段ほとんど使わないので、特に何の変化もなし。
お湯にちゃんとつかってたら、汚れは落ちる感じ。
もともと体臭が薄いので、平気なのかもしれない。お酒も飲まないからね。

ただ、タバコくさい場所に行った日は、においをとるためにシャンプー使ってます。
シャンプーを泡立てたあと、頭皮をゴシゴシやらずに、髪の方だけにシャンプーつけて洗ってる。
週1回くらいの間隔でシャンプーしてます。

佐々木閑『科学するブッダ 犀の角たち』


この本、すごく面白かった。おすすめです。

科学の人間化は、まだまだ終わらない

お寺の跡継ぎである理系少年が、仏教学に足を踏み入れて研究者となり、さまざまな科学の話を紐解いていくうちに、初期仏教との共通点を見出して…というのが、この本の生まれたきっかけ。

ただし、著者はのっけから、安易に仏教と科学を同一視してはならないと警告します。

自分の勝手な思い込みで独断的に結論すると、科学を汚染し仏教を冒瀆する怪しい神秘論になってしまう。自分が比較したい点だけをひっぱり出してきて並べて見せて、「ほら、科学と仏教にはこんな共通点があるんです。だから科学の本当の意味を知るためには、仏教の神秘や直感を理解する必要があるんです」といった愚論を開陳するはめになるのである。肝心肝要な部分に神秘性を持ってきて、それで科学の意味づけをしようという安易な論法である。

後半でも、くり返し警告している。

どんなことでもよいから好きな思想やアイデアをひとつ挙げてみてほしい。それと似たものは必ず仏教の中に見つかる。原子論でも相対性理論でも、心理分析でも量子論でもカオスでもなんでもいい。それらと似たものは必ず仏教の中にもある。しかしそれはあくまで「似たもの」にすぎない。意識的に似たものを探そうと思って探せば見つかるということである。

近代科学は、キリスト教世界で生まれたものであり、どうしてもキリスト教の影響を受けている部分が多々ある…という指摘は、ここ最近、よく見かけるようになりました。
著者は、そういった「科学」の発展のもたらすパラダイムシフトが、キリスト教的な価値観や「人間が1番えらくて特別なのである」という思いこみを破壊して、よりいっそう合理的になっていくさまを「人間化」と呼び、どういう風に科学が「人間化」していったのかを解説する。

私は、科学のパラダイムシフトがこのような方向に沿って進んでいると考える。神の視点が人間の視点に移っていくことを、「科学の人間化」と呼び(後略)

地動説やら進化論やら量子論と多世界解釈やら、いろんな話が出てくるんですけど、それぞれの科学者に対する著者のコメントに、いちいちニヤリとしてしまう。「かっこいい、私も来世ではこんな風になりたい」とか、そういった書き方だったりするのね。

個人的には、全然わかってなかった「シュレディンガーの猫とか多世界解釈とか、そのへんの理屈と背景」が、この本でようやくわかりました。

科学の人間化は、我々の常識的合理性を次々に打ち砕いて、とうとう自分の同一存在性まで消し去ろうとしている。

科学だけでなく、数学の「人間化」についても紹介されている。
美しい数式にこだわった古来の数学者たちと、美しいだけでは解くことができない、複雑怪奇な数学の世界。

最近では「どんな体系を用いても答えが出せないような数論の問題がある」ということさえ証明されてしまった。

仏教はなぜ多様化していったのか

最後に、仏教成立時のあらましや上座部仏教について語り、大乗仏教には大乗仏教としての立派な存在意義があることを語っている。
これも面白いよねー。
「ブッダの言葉が直接残っているわけではないが、初期仏教の記録から、当時の仏教が自分たちをどういう宗教であるとみなしていたか、何を重視していたかが読み解ける」とかね。なるほど、そういう風に分析していくんやなぁと。

科学は物質世界の真の姿を追い求めて論理思考を繰り返すうちに神の視点を否応なく放棄させられ、気がついたら、神なき世界で人間という存在だけを拠り所として、納得できる物質的世界観を作らねばならなくなっていた。一方の仏教は、同じく神なき世界で人間という存在だけを拠り所として、納得できる精神的世界観を確立するために生まれてきた宗教である。

ブッダが生まれた当時のインドでは、身分制度の厳格なバラモン教が社会にガッチリと根を下ろしていた。現在のカースト制に通じるものを感じますね…。
それに反抗する形で、生まれよりも行動を重視するさまざまな宗教が生まれてくる。行動、つまり努力を重視するため、彼らは「努力する人(シュラマナ)」と呼ばれた。沙門のことです。
沙門宗教の中で、仏教とジャイナ教は現代にも残ったが、精神活動に重きを置く仏教は世界に広がっていき、肉体活動に重きを置くジャイナ教は実践するのが厳しすぎて国外に広まらなかったという。

奇蹟も啓示も、神秘的ないかなる経験もない普通の生活の中に、真の安らぎを見出す道がある。これがブッダの創設した仏教という宗教のおおもとの理念である。

仏教が、世界を因果則によって理解するという態度は、残された古い時代の仏教文献に一貫して流れる基本的な姿勢である。なにか超越的な存在を頼りにするという考えは全く見られない。

しかし、中国や日本の仏教(大乗仏教)は、阿弥陀様やらなんやら、超越的な存在が衆生を救ってくれる系の宗教になっている。
なんでそんな風に考え方が変わってしまったのか。
それは、ブッダ没後、各地に分かれて暮らす僧たちのあいだで解釈の相違が芽生え、お互いに「ブッダの言葉をねじ曲げる邪教」として攻撃し合うようになってしまい、それを避けるべく「仲直りの儀式さえ行えば、意見は異なれど同じ仏教徒としてみなす」という教義が生まれてしまったためだという。

その後、仏教の多様化は進み、現在に至るのですが、大乗仏教の存在意義について、著者は事故で家族を突然失った人の話などを引用しながら、こう語っている。

やるべきことが分かっていても、どうしてもそれができないような、狂おしい状況に置かれた人が助かる道は、超越的な存在への帰依しかない。(中略)釈尊時代の本来の仏教は、自分の生活のすべてを投げ出して、なにもかもを修行一本にかけていく、ある意味恵まれた境遇にある人たちの宗教である。

『現代霊性論』みたいに、何度も読み返したい本でしたよ。

タイトルの「犀の角」って、スッタニパータ(初期仏教の経典)に出てくる表現だよねーと思ってたら、その通りだった。巻末に、スッタニパータの一節が引用されてた。
スッタニパータは、岩波文庫で読めるよ!

余談:今読んでいる本

女性誌や漫画雑誌をはじめ、さまざまな雑誌がKindle化されて久しい。
アパレル系の仕事をしている友達が、「Kindle版の雑誌だと場所もとらないし、紙より安いし、捨てる手間もかからないから超助かってる。しおりとか使えないのだけが難点」と言ってました。

私も、今まで手を出したことのなかった(むしろ存在を知らなかった)雑誌に手を出してみた。
雑誌なので、固定レイアウトのフルカラー。Kindle Paperwhiteでは読めない感じです。

バードウォッチングする人のための雑誌。
この号は、初心者向けの心得とか案内とかが載ってます。
「オタクにかぎらず、どこの世界も、よそ者には通じない専門用語があるんやな…」って感じ。ちゃんと「用語解説」のページもあったりする。

積ん読している本

さらに増えてます。何週間くらい積んでるんだこれ…。

大原まり子がKindle化してた

たとえば、大好きな大原まり子が出たので即買いした。
紙の本は絶版ばっかりなんで、こういう時こそKindleですよ!


すごく好きな本。ファンタジックな寓話を集めたようなSF。
SF初心者にこそ、大原まり子を推したい。SFがわからん人でも楽しいから。むしろ私は今でもこういうSFが好きだから!いまだにSFよくわかんないと思ってるから!
これ、私が昔持ってたのとは別の表紙だなーと思ったら、紙の本を出してたハヤカワ文庫とは別のレーベルから出てるみたいですね。


これ、読んだことない奴だー!
ずっと絶版で読めなかったんです。うれしい…。

気になってた本を、セールに便乗して


岡倉天心。何ヶ月も気になってた本。とうとうぽちってみた。


前のセールの時も気になってたファンタジー。自分に合う面白さだといいなー。
どんな小説も、最後は「いい・悪い」「うまい・へた」じゃなくて、「今の自分に合う・合わない」なのよね。今の自分にハマってりゃ面白いから。出会うタイミングが大事。そのタイミングを見極めるには、日頃から自分のことを知っていないといけないのですが…はてさて。


いまだにシャーロック・ホームズをまともに読んだことがないので、試しに手を出してみようかと。
ちなみに、牛乃あゆみさんは、ホームズを題材に、女性向けの同人誌(全年齢向け)をKDPで出しておられますよ。

うん…あの…以前の記事で積ん読してるよーって書いてた米原万里のエッセイも、『嫌われる勇気』も、網野善彦もまだ読めてない…これから…。

しかし、『科学するブッダ』のように噛みごたえのある本は楽しいのう。
漫画や小説のように、手っ取り早く欲求に応えてくれる感じの、中毒性や依存性のある快感は与えてくれへんのやけど、何日もかけて静かに読み進めるのが楽しい、そんな本。