Kindle書評『見仏記』と『私の名前は高城 剛。住所不定、職業不明。』

本日3本目のブログ。休日にまとめて書きすぎやろ…!

読み終わった本は、Kindle端末から削除しちゃうんですが、ブログに書こうと思った本は、書き終わるまで残してるんですよね。
ブログを書き上げるたびに、「これで端末から削除できる…!」と思って、ちょっとうれしい。

あれ?だったら最初っから買わなきゃいいんじゃないの?
その通りです。

でも、買っちゃった本はしょうがないので、できる限り読む読む。
せっせと積ん読を消化して、ブログに書いて端末から消して、ある程度きれいになったら、もっぺん読み返したい本だけダウンロードして、しばらく新しい本を買うのはストップしたいね…。
本当に最近は、読み終えた本を再読できてないから。反芻したい。

てなわけで読んだ本の感想いってみよー。

いとうせいこう、みうらじゅん『見仏記』


いとうせいこう、みうらじゅんが、全国あちこちのお寺を回ってひたすら仏像を見るという、いかにも面白そうなにおいがぷんぷんする1冊。角川セールでぽちった。
Kindle版は6巻まで出ている模様。

歯医者の待合室で読んでたら、同じ歯医者に通っている父が、
「何読んでるんや?なるほど、面白そうやな。あぁ、あの角川のセールでね」
と画面をのぞきこんでました。Kindleユーザ同士、話が早いぜ。
(父はiPad miniで読んでるけど)

感覚と思考の両方で楽しむ仏像ツアー

いやー、もうね、面白い。じわじわくる。笑える。

最初は、「仏像を愛するテンションの高さのあまり、独特の世界に入りこむみうらじゅんと、それにツッコミを入れるいとうせいこう」みたいな構図に見えるんですよ。

「来るぞ、来るぞ」
いきなり、みうらさんはささやいた。笑いそうになった。仏像が来るわけではない。近づいているのはこっちだ。

「うわあ。俺さ、今フェノロサ気分だよ。いとうさんには岡倉天心の役あげるね」
その役は別にいらなかったが、(以下略)

ツッコミ。

ところが、読み進めていくうちに、いとう氏自身も目の前の仏像を離れてすぐに分析やらなんやらを始めちゃって、自分だけの考えの世界に迷いこんでおり、それに気づいたみうら氏が、わざとリアクションを入れて、いとう氏の思考の暴走を引き止めている、ということがわかってくる。

この瞬間の感覚をつかみ続けるみうら氏と、言葉をつむいで過去にも飛びつつ思考をめぐらすいとう氏、お互いに自分の世界をくり広げる一方で、相手を暴走させないようにしてるわけです。ふたりでタッグを組んでいるからこそ、なしえることですね。

また、笑えるだけでなく、はっとする指摘も登場する。

たとえば、東北のずんぐりむっくりとした仏像について「どういうプロセスで東北に仏像が伝来したのか」「京都や奈良で仏像を見て、絵にして持ち帰り、それをもとにしたのではないか」などと言い合う。

「しかもさあ、下から見上げて写すとなると、絶対パース(遠近法)が狂うでしょう」

「俺、絵を描く仕事だからよくわかるけど、まず下半身が大きくなっちゃうんだよ(中略)でね、当然、頭はすっげえ小さくなる」

絵を描く人であるみうら氏は、さらっとこう言うのだ。

我々は仏像を見ながらも、決してその所作を身体に取り込むことがない。いや、その動きは、(例えば講堂の仏像で言えば)千年を経ても、日本人の仕草として定着することがなかったのである。

いとう氏は東寺の大日如来と、それを拝む参拝客を見比べ、大日如来のしぐさがまったく日本人らしからぬ、インド舞踊に近いものであることに気づく。

最後の方で、いとう氏は大日如来の件も絡めて、こう語っている。

日本人の多くは千年を越えて仏像を拝んできた。それなのに、国家神道がシステム化された途端に、仏像を外来のものとして攻撃したのだった。(中略)結局のところ、この国はなんでも受け入れるように見えて、何ひとつ受け入れていない。吸収したふりをして、それを独自のものとしてみせるが、いつでもまた外に放り出す用意をしているのだ。なんという空虚、なんという馬鹿らしさ、なんという弱さだろう。つまり、真に他者を受け入れて変化し、それを自己そのものと考える思考がないのである。

仏像に限らず、今でも同じかもしれない…。

高城剛『私の名前は高城 剛。住所不定、職業不明。』


『白本』『黒本』が面白かったんで、そのままもう1冊ぽちったでござる。

この挑戦的なタイトル、いいっすねー。
表紙も「持ち物を減らして移動しながら暮らした方がいい」という主張にふさわしい、シンプルなデザインです。タイトルもわかりやすいですね。
ただ、こういうシンプルなデザインは1度しか使えませんが。
(全部同じ表紙になっちゃうからね)

いらないものを捨てて、自分を見つめる

この本も、面白い意見がポンポン出てきたのですが、捨てたい病に関係のありそうなとこだけ紹介してみるでござる。

無駄な情報を抱えれば抱えるほど満足する「情報デブ」が、世の中多くいると思います。目に見えないので、自分でも気がつかないものです。まだ、情報社会になって数年ですから、無理もありません。
そこで、ここ何年も僕は「情報ダイエット」を提唱しています。まずはテレビ、インターネット、携帯のどれを止めるか、ですね。

他のシンプルライフ系の本や、捨てたい病関係のネットの記事などでも、モノを減らすことの次に言及されやすいのが「情報を遮断することの大切さ」について。
これ、「その通りやんなー」って毎回思ってるのに、気がつくと私は毎日ネットを見ちゃってるわけですよ。テレビは見なくなったけど、ネットは見ちゃう。そして、ネットを見ない時はKindleで本を読んじゃう。常に何かをむさぼろうとしてる。

なんで「情報ダイエット」が大事やなーと思うのか。
高城剛が言ってるのとは、ちょっとちがうかもしれんけど、私の場合「やった気になってるけど実際は何もやってない」状態になりやすいからだと思う。
ネットでWebやデザインに関する情報を目にして、アンテナを常に張ってるぜ!と思っててもね、実際に自分でつくってみたり、使ってみたりしなかったら、意味ないんですわ。それと同じこと。
けど、あふれるほどの情報に接してると、「実際にやる」時間がなくなるし、実際にやったことないのに、やった気になって満足しちゃう。そして、私自身は何ひとつ身につかない。

だから、そういう意味でも私は「情報ダイエット」すべきやんなーと思ってるの。
そういうのもあって、Twitterのフォローはなるべく増やさないようにしてる。
あと、Chromeのアドオンで、OpenTweetFilterやSiteBlockを使って、自分が見たくないサイトや、そのサイトのURLが入ったツイートは見れないようにしてる。最初からアクセスできないように。

僕の経験則で申し訳ありませんが、自分がお金を持っていることを言い立てる人は不健康で、また、お金を持っていないのに欲する人も、とても不健康です。なぜなら、お金がなくなったらどうしようとか、搾取されているという情念のようなものを常に持っているからです。

同時に、高城剛は「情報とお金は似ている」とも指摘している。持っている人がえらいと思われがちだけど、実際には持っていれば持っているほど縛られてしまうものなのだと。
なんというか…この強い引力はなんなんでしょうね。お金の。

お金と距離を持ってつきあう人が増える社会、になると思います。また、お金と距離をおくことと、清貧は美、という謎の思想とはまったく別物です。

お金を稼ぎたいという欲望も、清貧が美徳というのも、実は両方同じ罠なのです。

これは、どっちもお金にとらわれすぎてる!って意味なのかなぁ。
しばらく考えてみないと、はっきりわからない。でもすぐに忘れそうな私。

世の中、いかにしてお金を稼ぐかという本が多くありますが、僕の場合は、いかにしてお金を稼がないで、持っている資産もダイエットするか、という変わった提唱をしていることになります。お金を正しく使ってしまうと言ったほうがいいかもしれません。お金は、使うセンスがとても大事になります。

ここを読んだ瞬間、遥洋子が日経ビジネスオンラインで書いていた文章を思い出した。

遥洋子はタレントであり、一部ではフェミニズム系のうるさいおばちゃん扱いもされているのだが、観察眼の鋭さと、無駄のない筆致で、淡々と面白い文章を書く人でもある。
その彼女が2011年に書いた記事では、「いまどき真面目に働いたら損をする、ズルをすれば成功して稼げる」という最近の風潮を身内の実例とともに述べたのち、「問題は成功したあとだ」と指摘している。

儲けて、成功して、何かに還元したり貢献したりの時代は過去で、今は儲けたら逃げろ、という時代になった。増税になり、今後ますますその傾向は強まるだろう。
(中略)
勝つまではズルしてもいい。本気でそう思っている。生き方として私は勝った後のほうが大事だと思う。そのお金、何に使いますか?

考えてみれば、書店の売れ筋の本の棚や、ビジネス本の棚には、稼ぎ方の本が山ほど並んでいる。でも、稼いだお金をどうするのか、資産運用以外に、どうすべきなのかを語っている本は、あまり見かけない。
最近のあやしげな(というか露骨に違法の)マルチビジネスで稼いだ人々も、六本木ヒルズに住んで、タレントを招いてパーティーして、外車を買って美女を連れて酒を飲むという成金丸出しの消費活動しか知らないのだろうか。

お金って、ただ遣うだけなら、いくらでも簡単だと思うの。
不動産や車に手を出して、高い服を着て高いお店で食事をすればいい。あるいは、詐欺に引っかかって大金を突っこめばいい。
でも、それが本当に自分のやりたいことかというと、全然ちがう。

お金を稼ぐセンスがあるのは悪くないと思うけど、稼いだお金を遣うセンスがないのに稼ぐだけ稼いじゃっても、お金目当ての変な人たちが寄ってくるだけだろうなーなんて思ったりする。
手に入れるよりも、手放す方が難しいよね。