地方出身者は方言と標準語のバイリンガルだよねって話

よく読んでいるブログ「おかあつ日記」で、こんな記事を読んだ。

それを読んで考えたことのひとつが、方言について。
去年からなんとなく思ってたことを、ふと思い出したのね。

標準語しか話せない人

ひとりでランチを食べに行き、そこの店主としゃべっていたら、方言の話になったことがある。

店「よく、『あんた、京都の人とちゃうやろ』って言われるんですよ」
私「ああ、それは標準語をしゃべってるからやと思います。別に悪気はないんですよ。『あんたが京都出身じゃないって見抜いたで』って言いたいだけなんです」

そこから、「実は私、昔は役者もやってたんですよ。でも、関西弁の役がめちゃくちゃ難しくて」と店主は語った。
映画などでは、ちゃんと方言指導をする人がついているのだが、何度直されてもなかなか直せないし、やりすぎて今度は「くどい」と言われてしまうことも多かったのだという。

店「和歌山出身の人も、広島出身の人も、大阪弁や京都弁の台詞を読めと言われたら、ちゃんと読めるんです。でも、東京の人間は駄目なんですね。全然わからないんです。私は千葉なんですけど、本当に難しいんです」

私が試しに「好き」という言葉を関西弁のアクセントで言ってみせたら、店主は驚いた顔で数秒考えたのち、「その発音、私にはできないですねぇ」と言った。
えぇぇえ?!
めっちゃ簡単ですやん?!できひんの?!なんで?!

※「好き」のアクセント
標準語:割と平坦
関西弁:「す」にアクセント

方言と標準語で育つ地方出身者

地方に住んでいると、住んでいる地域の方言が母語になる。
ところが、幼稚園や小学校に入ると、日常会話や先生の授業はすべて方言なのに、お芝居や、国語の教科書の朗読、学校の式典での「僕たち、私たちは」みたいな台詞は、すべて標準語なのである。

子どもの頃は、いちいち「これが標準語」なんて意識してなかった。ただ、自然と「こういう場面では、こういうアクセントでしゃべる」という風に雰囲気で教えられて、そういうものとしてアクセントのモードを切り替えていくのである。
大げさに言うなら、微妙にバイリンガルな育ち方をするのだ。

店主にそれを説明しながら、もしかすると東京近辺の人は、こういう育ち方をしないから方言が話せないのかもしれないな…と思った。
(北関東あたりは、方言がけっこう強いみたいですが)

とりさんの場合

ただし、私の場合はちょっと変わっていて、子ども時代はあまり方言を話せなかった。

今からは信じられないくらい、無口で人見知りな子どもだったんですよ。しかも真面目で思いこみが激しいから、失敗を人より恐れる部分もあった。
んで、人見知りだったこともあって、友達がほとんどいなかった。
さらに、子どもの頃に住んでいた地域は、他府県出身の人が多かった。

そうなると、テレビや本で言葉を覚えてしまうし、周りにも標準語をしゃべる子がそこそこいたので、自分がしゃべる言葉も限りなく標準語に近づくんですよ。
(あるいは、本で覚えた言葉なので、全然ちがうアクセントを自分でつくってしまったり)

母には何度も何度も、かなり厳しく、相当きつく叱られた。
「お母さんは京都の人間やのに、なんであんたは東京弁をしゃべるんや」と。
(関西の人間は、標準語のことを「東京弁」と呼ぶ)
(一般的に、京都人は東京弁を嫌う。もちろん観光客の前ではおくびにも出さないが)

その後、他府県出身の人がとても少ない地域に引っ越した。
そこには標準語を話す人間など誰もいなかった。住んでいる人々の雰囲気もガラッと変わり、村社会レベルが上がった。標準語をしゃべってたら白い目で見られそうな環境である。
しかし、やはり私は人見知りで内向的で、そのくせ攻撃的な一面もあった面倒な子どもだったので、友達がほとんどできず、そうと気づかないまま標準語をしゃべり、標準語で日記を書いていた。

私が自然と京都なまりの関西弁を話せるようになったのは、高校生になってからだった。
まず、中学に入ると、新しい友達がたくさんできた。
高校には今までの友達がいなかったので、そこでも新しい友達をつくった。中学も高校も、やはり標準語など話さない人々の世界だった。
そうして友達との同調圧力が強い年頃に、仲のいい友達に囲まれて関西弁のシャワーを浴び続けたことで、自分も話せるようになったわけである。
「英語のリスニングを続けていたら、自然と英語が話せるように!」的なことですよ。

だから、私は今でも東京へ遊びに行くと、自然と標準語になってしまう。
ツッコミを入れる時も、京都にいる時と同じスピードなのに、ものの見事にアクセントも言葉も標準語に切り替わる。山手線に乗りながら「うわー東京弁しか聞こえへん!めっちゃ違和感!超アウェー!」とか思ってるくせに、自分がしゃべる時は東京に合わせてしまう。
子どもの頃、かなり標準語を話していたからである。

東京にいる時、母と電話する機会があったのだが、それを聞いていた友達に「とりちゃんも向こうの人と話す時は、ちゃんと地元の言葉になるんだねー」と言われた。言われるまで気づかなかった。やっぱり話す相手に合わせて、無意識のうちに切り替わってしまうのだ。
(一般に、関西人は東京に行っても関西弁をつらぬくと言われているが、私のような例外もある)

京都にいる時でも、敬語を話す時は標準語になりやすい。
方言の敬語って難しいんですよ…今では聞く機会も減ってきたしねぇ…。
それに「敬語は方言を使うな」と指導する会社も多いから(恐らく他府県出身者との余計な摩擦を避けるため)

※ありがちな誤解ですが、舞妓さんの言葉は、舞妓さんの出身地を隠すためにある、花街の言葉です。京都弁だと思って、舞妓さんの言葉を真似する人が非常に多いけど、ちがうよ。

余談:関西弁について

よその地域よりも、自分たちの方言を誇ってそうなイメージがある関西ですが、それでもやはりテレビによる標準化の影響は強いです。
祖母の代、母の代、私の代と下るにつれ、どんどん京都色を失ってきている。
枕のことを「おまく」なんて、もう言わないしねぇ。

特に、関西弁の標準化が進んでいる感じ。
バリバリの京都弁や大阪弁じゃなくて、自分の地域出身のなまりが入った関西弁を使う、みたいな。
(ここでもテレビのお笑い芸人がしゃべる関西弁の影響は大きいと思う)

「しーひん」「せーへん」「しやへん」とか、「そーなんよー」「そーなんやー」「せやねん」とか、地域による細かなちがいはいっぱいあるんやけど、よその人には気づかれにくいことやし、特に東京近辺の人には難しいやろな、なんて思ったりする。