Kindle書評『没落する文明』と『白本』

あんまり小説を読む気にならないので、『馬の世界史』に引き続き、今後の社会を考える〜的な本を2冊読んだでござる。

こういう本を読むの、面白いなって思うんやけど。
Kindleでたくさん本を買っているがゆえに、積ん読の消化に意識が向かってしまって、最近は面白い部分にハイライトつけて、ブログに書いたあとは、読み終わった本を端末から削除しちゃってるのね。
だから、せっかくの本も読み返してへんし、自分の血肉になってるのかなぁ…って気持ちも芽生えてきた。

なんで私、本を読んでるんだろう。
面白いから。ただそれだけで読んでるんやけど、それ以上のものを、私は読書に求めてしまいがち。
本は自分の栄養にしなきゃ、みたいな気持ちが、どこかにある。
ただの暇つぶしで終わることを、どこかで恐れてる。なんでやろ。

などと自らに問いかけつつ、読み終わった本の感想いってみよー。

萱野稔人、神里達博『没落する文明』


3.11以降の社会についての対談本。
文明というものは、自然災害によって破壊されない時にだけ、かろうじて存在できるものにすぎないということ。
日本は多くの自然災害から逃れられない国であり、その前提を忘れてはいけない…という話から始まります。

自然災害から逃れられない国に住むということ

たしかに日本は、昔から地震の比較的少ない時期に発展してきたように見える。

日本に革命がないということは、逆にいえば、日本では天変地異がじつは革命の役割を果たしているんじゃないか。つまり、天変地異によって強制的に人間関係や社会システムが破壊され、つくりなおされる。

近現代の日本は、たまたま巨大地震や首都圏周辺での火山の噴火が起こらなかったという、つかのまの平穏な時代だったからこそ発展できたのだ、という指摘が、最初の方に出てきます。
確かに『竹取物語』でも、富士山は常に煙の出ている山、つまり活火山として描かれてるね(かぐや姫のくれた不死の薬を、帝が1番高い山の頂上で焼かせたため、というあらすじになってる)

そもそも人間が死を乗り越えられない以上、一定の呪術性や儀式性を排除できない。(中略)しかし日本人の場合、呪術的なものは存在しないと思いながら、無自覚に呪術的な行動をしてしまっていることが問題なわけです。

こういう問題ってね、いろんな人が指摘してると思うんです。

どの本だったか忘れたけど、あらゆる宗教を弾圧したポル・ポトが亡くなった時、その葬儀に参列したカンボジアの人々は、どうふるまえばいいかわからなかった、という話を読んだ気がする。宗教儀式も弾圧されてしまったために、たとえば死者のために歌うとか、祈りを捧げるとか、お焼香するとか、そういうのが全部なくなってしまって、遺体の前でただ突っ立っているだけだった、みたいな。
ソースが知りたいんだけど、検索しても出てこないな…。気になる。

人類にとって農耕は勤勉を要求するし、苦労が多いんですよ。狩猟で生きていけるんだったら、そのほうがよっぽど楽です。
しかし、そのためには人口が少なくなきゃいけない。その意味で、農耕というのは麻薬です。始めると人口が増えてしまう。

環境の変化など、やむにやまれぬ事情で人類は定住生活を送ることになり、そこから農耕が生まれたのではないか、と。
でも、農耕生活を始めると人口が増えてしまい、その人口を養うためにいっそう苦労して農耕を続けなければならない。移動生活ならばそこまで起こらない疾病も、同じ場所に住み続けて家畜を大量に飼っていたりすると、さまざまな病原菌がミックスされて爆発的に広まってしまう。

この本では、農耕というものは決して自然や環境にいいものではなく、どころか持続可能なものでもない、と明言しています。土地から奪うだけ奪うのが農耕であり、世界四大文明の発祥地はすべて現在、砂漠かそれに近い状態になってしまっている、と。

千年の都と呼ばれる京都もご多分にもれず、大変やせた土地になっております。当たり前やろ。
京野菜と呼ばれるブランドの野菜は、たいがい京都市ではない郊外の市町村か、あるいは京都市内でも山奥のエリアでつくられてますよ。ものによっては、他府県でつくられてるかもしれんね。
やせてて狭くて値段も高い、それが京都の土地だ。

ですから相当に注意しないと、農耕という営みは続いていかないんですよ。いまそれが表面化しないのは、事実上、化石燃料由来とか、あるいはリン鉱石とか、枯渇性の資源を使った農地改良をしているからです。

無理やり他のエネルギーをそそぎこむことによって、今の農耕は成り立っているのである、と。うーむ…。
しかし一方、こんな狭い島国に昔から大勢の人々が住んでいたわけであり、日本はヨーロッパよりもはるかに肥沃な土地を持っていて、それだけの人口を養うことができたのだとも書かれています。水資源にも恵まれてたしね。

つまり、私たちにとっての化石燃料にあたるものが、古代では森林だった。現代も古代末期も、そのエネルギーを使いすぎたあとの衰退期にある、と。

エネルギー危機による低成長社会への突入は、じつは古代から中世への移行期でも起きたようです。まず古代に木材によるエネルギー革命が起こり、木材を使いきってしまいました。その後、古代文明はいわば「脱物質文明化」していく。つまり精神的な文化や宗教が強くなっていくんですね。

森林資源を使いすぎて低成長期に入った古代に、キリスト教の禁欲主義が広まったり、中国で竹林の七賢が出てきたりした流れと、最近増えてきた「たくさんのモノを持つよりも、精神的に豊かな生活を…」みたいな流れは似ているのではないか、と指摘されてます。

私の選ぶ本が偏ってるせいもあるんだろうけど、確かに今後の社会がどうのこうのー的な本では、そういう話が多い気がする。モノやお金じゃないんだよ!精神的な世界だよ!メンタルや霊的な世界だよ!みたいな。

実際のところ、どうなんでしょう。
ただ、私の中で「思想系アーティスト枠」に入ってる人たちの共通点は、「モノやお金を持っててもかっこよくないんだよ!」という主張だなと思う…。あ、やっぱり偏ってる?

本当にすごい変化を目の当たりにした時、我々のセンサーはあまりあてにならない。メーターが振り切れるからだ。

自分の経験ではなく、歴史に学べ、ということです。
大学の恩師も「何かを調べていると、やっぱり歴史に帰りますよね」とおっしゃってた。

高城剛『白本』


高城剛のメルマガから、メルマガ読者とのQ&Aを抜粋した本らしい。
このあと、『黒本』も出るようです。それにしても潔すぎる表紙。

参考にならないけど、なんか見てると面白い

私の中で「思想系アーティスト枠」に入ってるひとりが、高城剛。
ぶっちゃけ、うさんくさそうな印象は今でもぬぐえないし、遠い世界の人すぎてまったくロールモデルにならないし、若者はどんどん海外に出ていけ!とあおる田村耕太郎に似てるなーと感じる部分もあったりするんですが、なんとなく面白そうな人だなと。

そんなこともあって、いっぺんKindle本を読んでみようと思っていたところ、りなこさんが感想をブログに書かれてたので、思わずぽちった。

なんせ高城剛のメルマガなので、質問内容も「海外に出ていくにはどうすればいいか」から「どんな風に玄米を食べてますか」まで、高城剛の生活にかかわりのある質問が多い。げ、玄米の食べ方まで…!
よく使うソフトの話とか、アルファベットの名前も多く出てくるので、この本は横書きにした方がよかったんじゃないかなーと思った。アルファベットを全角で縦書きされると、読みづらいよねぇ。

一番簡単なのが、「自分にとって一番楽しいことはなにか?」を考えてみることです。それを欲望と一緒にしてはいけません。

欲望と一緒にするな、という点が難しいけど大事なのだろうと思う。

衝動的感情と直感は、大きく異なると思います。その見分け方のひとつとして、ポジティブな考えの先に直感はあると思っていいと思います。

これと根っこが似てそうだなと思う内容のツイートを、以前読んだ。

車が趣味というのは、ロシアや中東などの最近お金を持った人たちでも、お金を出せば手に入れられるものであり、そのようなお金で手に入るものやあたらしい情報より、時間をかけて学んだ「教養が身についているか」が、「階級」を理解する上で大事だと叩き込まれました。

日本でも、はっきり言葉にされないだけで、似たようなことだと思う。いわゆる上流階級・アッパークラスの人たちは、10代の頃から勉強や読書の他にも芸術に接したり海外旅行したりしてて、さまざまなセンスを深めるだけのゆとりがあるのだ。
しばしば、都会の有名大学に進学した田舎の中流家庭の人が、同じ学内でそういう人たちと接して絶望したりする。彼らとの差はなかなか埋まらないし、むしろ広がっていく。だって住んでる世界がちがうから。

アメリカでも、貧困家庭から猛勉強してエリート層へと脱出した人は、他のエリートたちが子どもの頃に読む古典などを必死に読みあさって、自分が子ども時代に得られなかった「教養」を挽回しようとすることがあるみたい。

誰かやなにか(例えばテレビやネットなど)に、「楽しませてもらっている」と、つまらなくなってしまうことは、増えると思います。しかし、自分で自分を「楽しんでいる」と、ほとんどの場合、つまらなくなることはありません。

これは、与えられた娯楽におぼれるか、自分で娯楽を生み出すかという意味なのかな。
それとも、自分の受け止め方や態度次第だという意味かな。

人間は、本来全員が前向きであるようにできています。ですので、前向きになることを考えるのではなく、是非、バランスを取ることをお考えください。アンバランスなまま、前向きになろうとすると「間違ったポジティブ」に陥ります。

このへん、深く掘り下げて聞いてみたいと思う。
バランスをとるって、具体的にどんな風に考えてるの?とか。

高城剛は世界中をあちこち飛び回って、DJなどの仕事をしてるらしいのですが(クライアントの守秘義務があって詳しくは言えないとされている)、仕事なので移動にかかる交通費も、滞在するホテルやウィークリーマンションの費用も、クライアントが出してくれるそうな。
だから、1日1国くらいのペースで移動しても、自分が遣ったお金は1週間で500円くらいという、とんでもなく低コストな暮らしができるらしい。ま、まったく参考にならない…!

こういう暮らしって、次々に仕事のお声がかかるだけの能力が必要なことに加えて、毎日ちがう場所で寝泊まりして、毎日ちがう国のものを食べて、毎日ちがう人と会って能力を発揮するというストレスへの耐性と体力がないと無理よね。毎日ですよ。
(多くの人にとって、住環境や周囲の人間関係が変わるのは、かなり大きなストレスだから)

実際、「火事になった時、自分のマシンを持って逃げられるかどうか考えるようになった」といった内容の質問に対して、高城剛は「確かに軽量化も必要だが、自分の体力が増せば、運べる重量も増えるのだ」と答えています。

結局、コンピュータの仕事であろうがなかろうが、最後は体力であるというのが、過去35年間に渡り、あらゆるコンピュータを持ち歩いて来た僕の感想なのです。

私に足りないもの、それは体力…!orz