Kindle書評『さんざんなロスタティクル』と『未来改造のススメ 脱「お金」時代の幸福論 Ver.Up版』

年末年始の休暇に入りました。
部屋のモノを捨てたり、Kindleで再び積ん読してしまった本をちょっとずつ読んだりしてます。

ではでは、積ん読消化した本の感想、いってみよー。

犬子蓮木『さんざんなロスタティクル』


犬子さんのLINEノベル大賞応募作。
残念ながら敗退したそうですが、LINEで連載を読んだ人がイラスト描いてくれたりしたそうです。すげー。

Kindle1周年杯にはまにあいませんでしたが、先日の一斉無料キャンペーンに出てました。

中高生のつながりたい欲求って、あんまり変わらんよね

主人公は、記憶喪失になった女子高生。
作中では、LINEをモデルにした架空のSNS「リーネ」が登場し、記憶喪失になった彼女に周囲の人が教えるという形で、リーネの仕組みを説明してます。リーネを使うことを「リーンする」って言ったり。思わずリーン・スタートアップを連想した。

記憶が戻らないなーと思いつつ、少しずつリーネや高校生活に慣れていく主人公なのですが、実は記憶を失う直前に、かなり重要なことが起こっていて…。
ということが明らかになっていく。

私も最近ようやく(彼氏にせっつかれて)LINEを使い始めたものの、グループ機能とかスタンプとかゲームとか一切やってません。そのへんは、ネットの記事や、他の人が使ってる画面を見てなんとなく知ってる程度です。
だから、LINEめっちゃ使いこなしてる人からは別の感想が出てくるかもしれんけど、超ライトユーザの私は「実にLINEっぽい小説だ」と思いました。

リーネ(LINE)でのやりとりと、現実でのやりとりの、ちょっとしたちがいとか。
ちょっと盛り上がる程度で終わるはずだったネタが、想像以上に広まってしまって、いじめの原因になってしまったりとか。
(ついったーにも少し似てる)

迎えてくれた友達や、謎めいた先生のおかげで、少しずつリーネと高校生活になじんで(復帰して)いく。これはもしかして恋が始まる!みたいな盛り上がりがクライマックスに達したところで、リーネのログを読んだ主人公は、記憶を失う直前に起こった事件に気づいてしまい、急転直下。
少し持ち直したと思ったら再び叩き落とされ、追いつめられたところで新事実が明らかになり…リーネにメッセージが届く。

私が思ったのは、「いつの時代も変わらんなー」ってことでした。
友達とつながるツールがあれば使いまくるし、その中でハブられたりもするし、思わぬところで相手を怒らせたりするし、そこでのやりとりがきっかけで情緒不安定になったりする。

私の高校時代はLINEもスマホもなかったから、皆めっちゃケータイでメールしてた。ケータイにメールが来ないのは、友達がいなくて淋しい人なんだ、みたいな。
今思えば、なんであんなに他人とやりとりする必要あったんや…と思うけど、そういうお年頃だったと思うのです。大学に入ったら皆やりたいことで忙しくなってメールもがくんと減ったし。働き始めたら、他人と常にやりとりしたいなんて言ってる余裕なくなったから。むしろ仕事で疲れててひとりになりたい時も多いから。

そんなことを思い出しながら読みました。
いつものように、見つけた誤字脱字は犬子さんにお伝えしました(・ω・)

つーか、今回も表紙、真っ白いな!

岡田斗司夫、小飼弾『未来改造のススメ 脱「お金」時代の幸福論 Ver.Up版』


日替わりセールになっていた1冊。
自分が好きそうなこと書いてあるっぽい…と思ったので、ぽちった。

これからの時代、コンテンツは無料になる

対談集なのですが、予想通り、面白い極論や名言が目白押しです。
のっけから「モノをたくさん持ってる人や金持ちは、もはやダサいよね」と。

本がモノとして場所をとるおかげで、もっと本をたくさん読みたい人が読めなくなってる。

Kindleが日本に上陸する以前の私のことですね!

遠くに通うより、家を移した方がよほどコストも手間も掛からないよ。子どもが高校に入るまでは、家族はモノを減らし、半年に1回くらいのペースで引っ越すつもりで生きた方がいいでしょう。

僕は全部のモノを捨て、必要になったモノだけあとから買い直すことにした。

岡田斗司夫は、きっぱりと割り切ってるんですね。見習おう。

若いオタクに関しては、まったくカネを使わなくなっているし、逆に使う奴はバカという空気がある。コンテンツにカネを使う奴は、負け犬という雰囲気だね。

知識がある人なら無料で手に入れているかもしれないコンテンツを、カネを出して買ってしまうというのは、若い人にとって一種の挫折なんだね。

この点に関しては、かなり世代の差を感じることがある。
私の中学時代の同級生は、エロ漫画を友達んちに隠してもらってたらしいけど、これが彼氏(5歳年下)の世代になると「エロ漫画もエロ雑誌も買ったことない。だってネットに無料の動画があるやん」って発言が出てくるんよ。ほげえええ。

…彼氏が昭和の最後の世代だということを思うと、お金の遣い方について、昭和と平成の間にはものすごい断絶があるのかもしれんね。

自分で試行錯誤して、やってみることが大事

実際に自分の筋肉を動かさないとできない仕事は、必ずやらないとダメ。どうしてそれが必要なのかというと、今のところ筋肉の動きを完全にデジタル化できていないからです。自分でやってみるまでわからない。

ネット不戦敗というか、シミュレーション不戦敗が多すぎる。何もやっていないんだけど、やったつもりになって負けている。だけど、ちゃんと自分でやってみるべきなんですよ。

ネットで情報集めて、2ちゃんのまとめサイトとかで社会を知った気になってる人、多そうです。
日本を出たことがないのに、知ったような顔して他の国を批判してる人とかね。
「ひとり暮らしの経験がない男って、誰かが家事をやってくれるのが当たり前だと思ってるし、自分は何もしないくせに平気でケチつけてくるから結婚したくないよね」って話と同じ。

何で今美人の女の子、今金持ちの男を捕まえようとするの?
これから価値は下がっていくだけなのに。

物事を仕上げていく過程は、泥臭いものです。それは、恋愛だって同じ。お互いがお互いを育てていくことに意味がある。セックスにしたって、いきなり格好よくやりたいとかね。それは無理。

恋愛や結婚の相手に、美人やイケメンや金持ちを求めてる人に対して、小飼弾がバッサリ。「最初から完璧さを求めてて、育てる発想がない」と。
確かに育てる気がなければ、セックスだってうまくいかないよねー。ひとりひとり、好きな方法やツボは変わってくるもの。

仕事は暇つぶし、結婚はもはや上流階級のたしなみ

こう言ってはなんですが、懸命に働くのはバカでもできる。僕らは何も考えたくないからこそ、一生懸命に働く。働くことは、バカの免罪符なんです。

暇があれば、悩むのが人間を含めた生物の本質なのかもしれない。どうして、人間は仕事に没頭したがるのか? それは、悩みたくないから。

無職になると、余計なこと考えるよねー。「どうせ私なんて…」とかさ。
働いてれば余計なこと考える暇もないし、「自分は誰かの役に立ってるはずだ」と思えるし、お金も入ってくるしね。

結婚にしても恋愛にしても、今は上位10パーセントしか目指せない夢になっちゃったんだよ。
(中略)
残り90パーセントは、一緒に住んだらいい。僕らは、大家族から小家族、核家族、個人へと逃げてきた結果、何も残らなかったんだ。

他人と一緒に住んで、アジアの他の国と同じように、「その時その時で稼げる人が働いて稼いで、一緒に住んでる他の人たちは家事をしたり、なんかしら手伝ったりしてのんびりやればいいじゃん」と。
そういえばフィリピンでも、大半の人はよくわかんない親戚が家にいたりするらしいですね…。

痛い目に遭っておいた方が、打たれ強くなる

僕の場合、実家が火事で丸焼けになって全財産を失ったと言ったけど、別にこれが絶望的な不幸ではないでしょう。だけど、不遇を嘆く人は、この程度の不幸も経験していなかったりする。

私のことです(あんま苦労せずに育ったので打たれ弱い)

ただし、どの程度の不幸が人にとって必要なのかは、僕にもわからない。とてつもない不幸な出来事のせいで心が折れて、人生から転落していく人だっているでしょう。

これをカレーの辛さにたとえていて、うまいたとえだなと思った。人によって、耐えられる辛さはちがうよね、痛みに対する耐性は個人差が大きいんだよね、と。

ものすごく痛い目にあうイベントがないと、いつの間にかワーキングプアになっていることがあり得る。不遇だ不遇だと嘆く人たちは、「不遇に恵まれていなかった」としか言いようがない。

そういえば以前の職場で、阪神大震災の被災経験を持つ人が、「あれ以来、怖いという感覚が麻痺したみたいなんですよ。めっちゃ高い場所からバンジージャンプしても、まったく怖くなくて」と言ってたでござる。

だいたい、一代で財産を築いた人ほど、子どもにカネを残さないようにしようとするものなんだ。子どもの能力は何とかして伸ばしてやりたいけど、現金を渡しても子どもをダメにするだけだとわかっているからね。

古今東西、さまざまな歴史で実証されていることですね!
ちなみに我が家の財産は散らかった家と、大量に積み上がって崩れてくる本の山です。これを誰が片づけんねん…と思うと今から恐怖です。

日本の強みはコンテンツであり、日本語が生き残るかどうかもそれにかかっている

我々が日本語を使い続けるのは、結局マンガを読みたいから、アニメを見たいから。

これからの時代、世界の大衆は英語か中国語が話せないと生き残れなくなる。これは確かでしょう。でも、「知的大衆は日本語を話せないと楽しくない」、そう言い切れるなら、日本人はいいポジションに付ける。言い切れるかどうか微妙だけどね。それは、楽しいコンテンツを日本が世界に対して発信し続けられるかどうかにかかってる。

もちろん、漫画やアニメが海外で売れているかというと、それはまた別問題なんだけど。
でも、日本語に興味を持ってくれる人って、その多くはそういうコンテンツを見てた人なのよね。
ファンタジー・ロック・フェスに行った時も、ゲーム音楽をつくった人がステージに出てて、客席にはファンとおぼしき白人男性が何人もいて、ライブ後もめっちゃ熱心にサインの列に並んだり写真撮ったりしてたもの。

中国でもアメリカでも、大多数の人は、朝起きて、仕事して、メシを食って、クソして寝る、それだけしかない生活を送っているんです。では、どうしてこういう人々が暴動を起こさないのかといえば、それ以外の人生を知らないからですよ。

まじか。そんな人生しか送れないなんて、私は嫌だ。

これからの社会って?

なぜ、日本の方が「フリー」の受けがいいのか、あるいは他の国より先にフリー社会へ入っていきそうなのか? それは、日本人は野望を野暮だと思っているから。アメリカ人や中国人は、実際に野望を達成してみないとそれがどういうことかわからない人たちです。

悪くいえば若い人の覇気のなさでもあるんだけど、上に向かって登り詰めても何もないことをみんなわかっているんだ。

この指摘は面白いな。

気をつけないといけないのは、僕らは新しいモデルを考える時に、その中のトップを目指そうとしてしまうこと。そう考えると、どんな社会モデルでもしんどくなってしまうよ。

「他にはない独自の面白さがある脇役」くらいでいいやんね。

それはいわばドラクエ型RPGの世界に生きるということかもしれない。困っている村人からクエストを与えられ、それをこなすと周りから感謝される。そういう世界にみんな生きていけばいいんじゃない?

大半の人は、「やりたいことをやれ」って言われても、そんなの見つけられない。誰かに「これをやってもらえませんか」と頼まれて、誰かのためにそれをやる方が、ラクなんだろうな。

逆説的だけど、人を助けることで初めて「自分」が見えるのかもしれません。

自分ひとりでは、自分が見えないものね。
他人からの反射を通して、自分が見える。鏡のように。

そういう世界できついのは、誰からも何も頼まれないということでしょう。

うわっ…キツイ…。

なんか他にもいろいろ面白い言葉がたくさんあったんだけど、多すぎるので書ききれない。興味があったら読んでみそ。