Kindle書評『蝶従偽蛾』と『天使たちのシーン』

先月のKindle1周年杯でダウンロードした本を、いまだにちょっとずつ読み続けています。

読みたい本、読める本がたくさんあるというのは、いいことだのう。
時間は足りないけどね!

最優先で本を読めば、もっと早くたくさん読めるんだろうけど。
でも、ブログも書きたいし、小説も気が向いたら書くし、歌ったりネットしたり、家族とくっちゃべったり、彼氏と遊んだり、他にもやりたいことはいっぱいあるのでござる。
だから、読書の時間が、なおさら楽しい。

というわけで今回は、Kindle1周年杯に参加していたKDP本の感想です。
「面白かった!もっと早く読めばよかった!」って思ったぜ。

丸木戸サキ『蝶従偽蛾』


鳥獣戯画をもじったタイトルの小説。
蛾をこよなく愛する青年と、彼とつきあっている女の子の話です。

丸木戸サキさん、以前から名前をお見かけしていたのですが、
「丸木戸サキ…まるきどさき…マルキ・ド・サド侯爵…!SMとか怖い話が出てきそう…」
と思って、手を出したことがなかったのでした。怖がりすぎやろ!

虫愛ずる姫君…ならぬ、虫愛ずる殿方と姫君

あらすじ紹介を見た時、「なるほど虫愛ずる姫君か」と思ったけど、正確には「虫愛ずる殿方とつきあううちに、だんだん蛾のかわいらしさに目覚めていった姫君の恋愛小説」だった。
虫愛ずる姫君は、古典文学『堤中納言物語』の中の1編です。これ、小学生の頃に読んだけど、虫愛ずる姫君が1番印象に残ったね…。

こんなに蛾について詳しく書かれた小説(しかも恋愛小説)を読んだのは、生まれて初めてです(褒め言葉)

緑たっぷりのファーブルさんちの様子の描写から、さまざまな蛾についての知識を織りこんだ会話、そこと絡めてのセックスシーンとか、うまいなー!って思った。
恋愛関係にある現代日本の男女のセックスシーンが、ごく自然に描かれていたので、とてもとてもよかったです。しつこく書きすぎず、かといって朝チュンのように流すこともせず。よかったです(2回目)
こういうの、私はなかなか書けないので。

思わず脳内で、表紙のデザイン案を考えた。
(気に入った話、妄想の広がる話は、頼まれもしないのに表紙のデザインを考えて楽しんでます)

しかし、恋愛小説の終わりって難しいなぁ…と最近思ってます。
わかりやすいオチって、ふたりが結婚するか、別れちゃうか、片方が相手をひどい目に遭わせるか、の3択しか思いつかんのよね…。それ以外に、うまいことまとまる終わり方って、どうしたらえぇんやろう。
私が書くと、ひどい目に遭わせるか、ふたりのいつもの日常へとループさせていくかになってしまうわけですが。結婚なんて!そんな簡単にいけば苦労ねえし!(未婚30歳の心の叫び)

誤字は2ヶ所だけ。
あと、前半ではカタカナ表記だったオオミズアオが、後半では漢字表記になってた。

晋太郎『天使たちのシーン』


高校野球が好きな晋太郎さんの小説。
以前、『ナイン・ストーリーズ』を読んだことがあります。

自伝的な物語

主人公はゲイの大学生なのですが、これはゲイの恋愛小説ではありません。

自分はごく普通のストレートだと思って、女の子とつきあったりセックスしたりして生きてきた男の子が、とある後輩の存在をきっかけに、「あれ?もしかして俺って、男が好きなのか?」と思い始める。
そして、主人公はゲイの世界に足を踏み入れ、だんだん男にしか欲情しなくなっていって、すっかり同性愛者になった…その矢先に、昔の彼女が連絡をとってくるのです。主人公にそっくりの幼い男の子をつれた、シングルマザーの姿で。

えぇ話やった。

ゲイになった自分は、家庭を築いて子どもを育てて…という人生を送ることもないのだ、という思い。
自分のセクシュアリティに悩み、さまざまな本を読みふけったという過去。
ひどい父親の記憶と、自分も父親に似てしまうのではないかという恐怖。
天使のように、きらきらした暖かい光を放つ、自分にそっくりの小さな男の子。

読み終わったあとも、そういった断片の数々が、きらきらしてる。

主人公が10代の頃、いくら自分で処理しても、女の子とセックスしてもおさまらない性衝動をもてあましていたというくだりを読んでね。
今さらながら、あの年頃の男の子は、本当に苦しかったんやろなぁって思うのね。当時は理解できなかったし、理解したいとも思ってなかったけど。
うちの中学の先生が、何かの折に「二次性徴を認めたくなくて、ブラジャーをつけない女の子もいるから、(余計に刺激されてしまって)男の子は気の毒やと思います」と言ってはったことを思い出す。

主人公が「生殖から解放されている同性愛は自由だ」と感じたくだりに、あぁ、わかるな、と思った。
そういう理屈がわかるという意味じゃなくて、「10代の、あの悶々と悩み苦しんでいる時期に、『答えを見つけた』と感じた時の気持ち」を思い出して、そう思ったの。
(私の場合は、「なんだ、自分なんて存在しないんだ。『ソフィーの世界』にもそう書いてあったじゃないか。ギリシャ哲学のあたりに、そういうこと言ってる人たちがおったわ」と気づいた時に、答えを見つけたと感じた。14歳の頃でした)

しかし、リチャード・ドーキンス、ミシェル・フーコーが出てくるとは思わんかったぜ。
特にフーコー、懐かしい!
今となっては、パノプティコンとか矯正施設とかその程度しか覚えてへんけど…。