三浦しをん 『きみはポラリス』を読んだ

タイトル:きみはポラリス
著者:三浦しをん(みうら・しをん)
レーベル:新潮文庫

文庫化されたというのを事前にネットで知り、先日のデートの折に買い求めた1冊。
恋愛をテーマにした短編集です。
三浦しをんのエッセイを読んでいる人にとっては、
「あんな面白おかしい(でも色気のない)日常を送っている人が恋愛小説…しかし、なにゆえに小説を書くとこんなにも全然異なる味わいが…」
と、その落差ににやにやしながら(あるいは首をふりながら)読める一品ですな。


いくつか選んで感想を書く。

「裏切らないこと」

この短編の主人公である男性(妻子もち)が内心つぶやく、

「多くの女性たちの、肉親にあたる異性への親しさの表明ぶりには、以前からどうも俺には理解しかねる部分だ」

という指摘にうなった。
た、確かに言われてみればそうかもしれない…姉や妹という生き物は、やたらと兄や弟をかまったりしてるかもしれない。
と書くと、弟から「俺そんなに姉様から親しくされてへんけど」と抗議を受けるかもしれませんが。

「骨片」

私が生まれる時代をまちがえていたら、こうなっていたかもしれないと思った。
女が大学で勉強したって何の役に立つんだ、みたいなことを言われて卑屈になりながら、嫁に行く先もなく、卒業後は実家に戻って家業を手伝いながら、大学時代の淡い何かを心の奥にしまい続けていたかもしれない。

実際、うちの大学には社会人学生が多くて、同じゼミの女性には、孫がいた(そういう年齢の人だった)
親しくなって、彼女のお茶会(家の中で茶道!)に招いていただいたこともあったんやけどさ。
その人は、

「私が若い頃には、『女が大学に行ったってどうすんねん』って言われてたよ。だからせっかく大学に行ったけど、そこまで本気になって勉強しなかった。でもやっぱり研究したいことがあったから、こうしてもっぺん大学に来てん」

と言うてはった。
子育てが一段落して本気で大学に戻ってきた彼女は、私とともに4年学び、その集大成となる卒論で、まともな研究成果の残されていない、埋もれていた資料に光を当てはった。
多くの社会人学生は、身銭を切って、貴重な労働時間も犠牲にして大学に来ているので、勉学意欲にはすさまじいものがありました。

ところで昨日、久々に三浦しをんのエッセイを読みたくなって、寝る前にちらっと『夢のような幸福』を読んだら、そこに『嵐が丘』にまつわる話が載ってたんですけど。
この「骨片」にも『嵐が丘』が出てきました。偶然の一致だー。

「春太の毎日」

大島弓子『綿の国星』にも、似たような話があったなと思い出した。
オスの飼い猫が、若き女性の飼い主に恋心を抱いていて、飼い主が他の男を好きになると嫉妬する話。
『綿の国星』の短編の方は、飼い主が未成年の学生で、飼い猫がもうちょい年老いてアンニュイで、男女交際が今よりずっと周囲に取り沙汰される時代だったというのもあって、危ういような痛々しいような、ちょっと不安定な何かがある。
でも「春太の毎日」では、飼い猫(もしくは飼い犬かも)は自分に自信を持っているし、舞台は現代だし、全体的にもっと明るくて元気な感じがする。
私はこっちの方が好きです。

「森を歩く」

1番楽しい短編でした。
ちょっとこれ短編ドラマにしたら、いい感じなんちゃうかな。
ふたりの出会いの場面も漫画的だし、森を歩く場面も女優さんが体当たりで挑んだら、いい絵になると思うよ。

形にできない、映像にならない何か…小説にしか描けないもの

さまざまな恋愛の形が描写されていて、同性愛が描かれているものもあるのですが、男同士もあれば女同士もありで、なんていうの、うまく形にできない何か(映像では描けないような何か)が感じ取れて、これは小説ならではだなと。
これを読んで、
「しょせん三浦しをんはBLが好きなだけじゃないか、ほらやっぱりこの人、自分の小説でも普通の小説のふりをしながら同性愛を入れてくるし」
みたいな、とんちんかんな感想をネットで書いてる人もいるみたいですけど、ちゃんちゃらおかしいよ。
人と人との関係性について、もっと深く考えて読み取ってみようよ…。

解説は中村うさぎ。
人によって解説って全然ちがうよねー。
同じ三浦しをんという作家の作品について解説を書いていても、毎回全然ちがうスタイルの解説が立ち上がる。面白い。