アイリーン・M・ペパーバーグ 『アレックスと私』を読んだ

タイトル:アレックスと私
著者:アイリーン・M・ペパーバーグ
レーベル:幻冬舎

新聞広告を見てから、これは自分が好きそうな本だと思っていた1冊。
といいつつ、のろのろしてたんですが。
先月、テンプル・グランディン『動物感覚:アニマル・マインドを読み解く』にピンと来て即買いしたところ、この中に『アレックスと私』の一場面が引用されてたんですよ。
それを読んで、『動物感覚』も自分のツボにハマる本やったけど、『アレックスと私』もやっぱり好きそう面白そう、と思って先日ようやく買いました。

鳥は言葉を操り、数の概念も理解する

『アレックスと私』は、『動物感覚』に比べるとはるかに一般向けで、エッセイに近い感じで分量も多くなく(文字も大きく)、読みやすいです。はるかに手をとりやすいお値段ですしね(半額以下…)
ドキュメンタリー映画を見ているような感覚で読めました。

ちっぽけな脳みそしか持たない鳥が、言語を操ったり抽象的な数の概念を理解したりできるはずがない。そんな能力は、人間だけに与えられた高度なもの。オウムの話す言葉は、ただのオウム返しだ。

という研究者たち(そして一般の人たち)の思いこみに挑んだ、ヨウム(オウムの仲間)のアレックスとペパーバーグ博士。
研究資金も乏しく、職は不安定でしょっちゅう研究室を放浪することになり、夫は彼女の研究の意義を理解しきれずに離婚。
女性というだけで差別され、鳥の研究をしているというだけで軽視され…。
30年に渡るアレックスとの研究生活。彼女の研究が次第に認められ、資金が増えてますますこれからという時に、アレックスは31歳という若さで死んでしまう。
(ヨウムの平均寿命は50歳前後)

オウムのような鳥は、犬などとちがってまだ家畜化が進んでいない(ペットとして進化してきた歴史が短い)ので、飼い主がしょっちゅうかまってあげないと退屈して病んでしまうらしいです。
だから、彼らを昼間はカゴに閉じこめて仕事に行ってしまう、という生活は、4歳児を小さな囲いの中に閉じこめて夜まで放置するようなものなのだとか。
読んでてうっかり「オウムを飼うのもいいかも」と思いかけましたが、それを読んで思いとどまりました。
今からご隠居生活が送れるわけでもないし、在宅で働くわけでもないしね…。

困難な道のりを、きらりと輝かせるユーモア

昔から海外のこうしたノンフィクションを読むにつけ思うのは、ユーモアというか、読者をにやりと(あるいはクスリと)笑わせるようなエピソードを随所に挟んでくるよなーということ。
大統領や王族といった人たちでも、大勢の人を前にしたスピーチでジョークを飛ばしたりするし。それも人を馬鹿にして笑うようなものではなくてさ。
この本では、アレックスが研究室のメンバーをからかったり、ふざけたりするエピソードがそれに当たる役割を果たしてます。
思わず笑いながら近くにいた母に教えてしまいました。

しかし研究として成果を出すためには、被験者と親密になりすぎてはいけない。科学的客観性を保たなければならない。
おかげで著者はアレックスが死んでしまうまで、彼に対する自分の深い愛情を封じこめ続ける。
アレックスが死んで初めて、自分がどれだけアレックスをいとおしく思っていたか、その喪失感の強さとともに気づく…。

また、科学的に立証するためには、同じことを何度もくり返して、同じ結果が出るというデータをとらなければならない。
そのために何度もアレックスに対して似たような質問をくり返すけれども、賢いアレックスは何度正しく答えてもくり返される質問に飽きてしまう。
退屈して飽きたアレックスがふざけたり無視したりするのも無理はない、でも研究のためにはなんとか結果を出さないといけない…。

ありきたりな表現ですが、平坦でない道をずっと進み続けてきた研究者の話です。
そして、動物や鳥類が人間の思っている以上に賢いということを世に知らしめた、アレックスという鳥の一生の話です。