水野和夫・萱野稔人 『超マクロ展望 世界経済の真実』を読んだ

著者:水野和夫(みずの・かずお)+萱野稔人(かやの・としひと)
タイトル:超マクロ展望 世界経済の真実
レーベル:集英社新書

年末に父が「これ読みなさい」と貸してくれて、そのまま放置していた1冊。
今日、手にとって一気に読み終えました。


エコノミストの水野和夫と、政治哲学者の萱野稔人による対談。
萱野稔人という名前に見覚えがあって、もしやあの人?と思ってあまぞんで探したら当たりでした。
以前、雨宮処凛(あまみや・かりん)と対談してはった人でした。『「生きづらさ」について』という新書になってます。
(そういえばこの本も父から借りた)

市場のルールを有利に回したい→ルール破りには戦争で報復

さてさて。
『超マクロ展望 世界経済の真実』
経済についてわかりやすく、また面白い指摘に富んだ1冊でした。

たとえば。
「アメリカがイラクに戦争を仕掛けてフセインを倒したのは、イラクに油田があるからだ」
みたいな論調をよく見かけたけど、そうじゃないだろうと。

フセインが2000年に、石油の売上代金をドルではなくユーロで受け取ると宣言したのがきっかけだろう。
アメリカは「ドルを機軸としてまわっている国際石油市場のルールを守るため」(P.47-48)に、大量破壊兵器とかなんとか言って戦争を始めた。

帝国の覇権というものが、植民地時代のような領土拡大や陸地の獲得ではなく、世界的な経済システムのルールを策定することによって他国の経済を支配するというものに変わっているのだ、という指摘が目からウロコでした。

実物経済が立ち行かなくなると金融化が起こる。
それは今だけに限ったことではなく、今までにも、この資本主義500年の歴史の中でくり返されてきたことなのだと。
そして金融化が進むと、その国の「覇権国としての地位」は終わる、みたいな。

資本主義が、安く資源を調達できる「辺境」の存在抜きではうまく成り立たないというのも、「言われてみればそうやなー」って感じ。ウォーラーステインとか懐かしいですね。

国家を超えるなんて安易に語るな、という耳の痛い話

あと、国民国家がなくなる流れは進むだろうけど、国民国家と国家は同一ではない、という指摘とかね。耳が痛かったです。
というのも、萱野さんがこんなことを言うてはって。

とくに1990年代の日本の思想界では、グローバリゼーションによって国境の壁がどんどん低くなり、国家もしだいに消滅していくだろう、ということがさかんにいわれました。当時はなぜか「国家を超える」ということが思想界での最大のテーマになっていて、その文脈でグローバリゼーションがやたら称揚されたりもしました。私が国家とは何かということを理論的に考えるようになったのは、こうした安易な「国家廃絶論」に辟易したからでもあるんです。国家とは何かを考えもせずに、安易に「国家の廃絶」とかいわないでほしいなと。
(P.117-118)

あ、うん…私が大学にいたのは2000年代やけど、それっぽい論文、読んだ気がする…。しかも「ふんふん」とか思いながら読んでた気がする…。
国民国家(ネーションステートっていう表現をよく見た)の功罪、それも主に罪の部分に光を当ててる論文とか…。
難しくて苦しんだ思い出が。

「(安易な国家廃絶論が)国家権力を批判しようとする左派やアナーキストたちにもしばしばみられます」(P.118)

という言葉に、あいたたたと思いました。わ、私かな…。
すごく響きのいい言葉だったんよね、「脱・国家」みたいなの…。

視点を変えて、大きな流れを見てみよう

そんな私の思い出はどうでもいい。

もうかつてのような経済成長は望めない(資本主義として限界)にも関わらず、かつてと同じような財政を組んでたら赤字は膨らむばかりだし、年金だって超甘い計算で成り立ってるから厳しいよ、とか。
最近、環境に配慮したあれこれが取りざたされてるのは、それが新たなルール策定のチャンスだから。自分たちに有利な市場の枠組みを設けて利益をもたらそうという思惑があるからだ、とか。
大きな流れから見る、ちがった視点が面白いです。

しかし父に借りたこの本、3分の2くらいのところでしおりがはさんであったんだが、どうやらまだ読み終わってへんみたいやね、おとん…。