R.P.ファインマン 『困ります、ファインマンさん』を読んだ

タイトル:困ります、ファインマンさん
著者:R.P.ファインマン
訳者:大貫昌子(おおぬき・まさこ)
レーベル:岩波現代文庫

これも、あっちゅーまに読んでしまいました。

こっちも読んでて、いろんなことを思い出した。
主に、私の父のことを。

チャレンジャー号の事故

ファインマンさんは、スペースシャトルのチャレンジャー号の事故調査委員会に加わっており、その顛末がこの本には収録されている。
事故の原因となるような証拠をなかなか出さなかったり、現場の人間が警告していてもそれが上層部には伝わっていなかったり、調査で不都合なことが暴かれるのを恐れて、他の些細なことを調べさせようとしたり…。
巨大な組織にありがちな話って、国を問わないのね。
「日本でも聞いたような話やな」と思いながら読んだ。

このチャレンジャー号の事故について、宇宙飛行士の立場からの話は、『ライディング・ロケット』でも読んだことあるです。確か下巻に載ってたような。


『ライディング・ロケット』、相当笑えるエッセイですよ。
軍隊仕込みの下ネタを言いまくって総スカン食らったり、最初は「しょせん女や、ひ弱そうな科学者なんて、すぐに脱落していくだろう」くらいに思っていたのを、訓練をともにする中で彼らを見直して友情を築いて行ったり。

個人的に1番笑ったのは、シャトルの離陸時に尿もれ対策でコンドームを装着せねばならず、サイズを申告するよう言われた男性飛行士たちが、必死で大きめのサイズを主張する話です。
もちろん、ぴったりのサイズでないと駄目!と突っ返され、「もしNASAのデータが盗まれた時、俺のコンドームのサイズも盗まれて世界に公開されなければいいんだが」的な会話を同僚とかわす…。

あかん、『ライディング・ロケット』の感想になってしまった。

父の教育

自分の父親が普通の父親とは限らない

ファインマン本で特に印象的だったのは、父親の話でした。
制服を売る仕事をしていた父親は、子どもを科学者にしたいと思っていたらしく、ファインマンさんがまだ小さな頃から、いろんなものを見せて、いろんなことを教えます。
他の父親とちがって、子どもに「これはなんでだと思う?」と問いかけたり、何かを説明する時には具体的にわかりやすく説明したり。

自分の父親はどうやったかな、としばらく考えた。

他の人と同様、私も自分が大きくなるまでは、よその家も我が家と同じようなもんだろうと思っていたのですが、全然そんなことなかったです。
今までで、最も似たような階層の人間が集まっていたのは大学やったけど、それでも他のおうちのお父さんは、私の父とはまたちがう教育を子どもに施していた。
多分、東大や京大レベルまで行くと、その差も縮まって似たようなご家庭が増えるんだろうけどね。

ふと思った。
自分の父親が、ファインマンさんの父のような教え方をしていたら、どうなっていたかなと。

哲学なんて、もっとずっと後でよかった

父の教育に対して、うらみや反感とかは全然ないのですが、ひとつだけ、「これはまずかったかもなぁ」と感じることが、あまりにも早く、頭でっかちな「哲学」にかぶれてしまったことです。

私が小学5年生の頃、ヨースタイン・ゴルデルの『ソフィーの世界』が大ヒットを飛ばし、哲学書ブームが起きた。
父が枕元に置いて読みかけていたそれを、たまたま通りがかった私が興味を持って借りていき、たった2日半で読んでしまったことから、父は何かを期待してしまったのかもしれなかった。

父はいったん大学を卒業したあと、働きながら哲学科に学士入学したことがあるようです。結局、仕事が忙しくて途中で辞めたらしいけど。
父の学生時代は、学園紛争が終わるあたりの頃で、ちょうどマルクス主義やら左翼系の思想が流行っていた。
多くの大学生や高校生が、小難しい哲学や思想系の本を読んでいたそうです。「お前、そんなのも読んでないのかよ」みたいな。とにかく流行ってたんだろうねぇ。

というわけで、父の書斎や屋根裏には、父が若い頃に買った哲学関係の本が何冊も残っていて、父はそれを11歳だった娘の私に「読んでみるか?」と貸し与えたわけなのですよ。
「カール・セーガンの『COSMOS』を10歳で読んでハマった我が娘なら、『ソフィーの世界』をきっかけにして、大人向けの哲学の本も、いい刺激になるかもしれない」
と思ったんじゃなかろうか。

…残念ながら、あまりいい刺激にはならなかった。

当然、そんな本を読んでいる子どもは周りにおらず、むしろ本すら読まない子どもも多かったので、
「本をいっぱい読んでいて、普通の小学生が読まないような大人の本だって読める」
というのは、人間関係に不器用で孤立しがちだった私のプライドの拠り所でもあった。

もちろん、プライドがあるので「意味わからんわ!」と父に突っ返すこともできず、「よく考えて読めば、わかるようになるかもしれない」と思って、必死でちょっとずつ読んだのです。
意味わからんかったけどな!

そして、意味がわからんので、意味のわかるところだけを自分の理解が及ぶ範囲で解釈していくことになり、もともと頭でっかちだった私は、ますます変な思いこみを自分の頭につめこむことになったのだった。
当時の私は無口だったし、そんな内容の話をする相手もいなかったので、自分の変な思いこみを「それ、おかしいやん」と指摘される機会もなく…。

厨二病と哲学

「変な思いこみ」が、たとえばどんなものだったのかというと。

中学の体育の授業で、持久走をやっていた時。
体力がないので、すごく苦しくなって、途中で走るのをやめて歩く。その時、ばくばくと鳴る心臓の音や、ぜいぜいとした自分の荒い息や、体のあちこちの痛みをなるべく忘れようとして、
「何もよくわかんない宗教だのオカルトだので、神秘的な体験をしようとする必要なんてないじゃないか。私がこんなに苦しくても、空は青くてきれいだし、世界は充分に神秘的で美しくて云々」
などと考えながら、空を見上げていたわけですよ。

なんか大げさなこと言ってるけど、要は走るしんどさを少しでもやわらげたいだけなのです。
何やったんやろう、あれは…。
厨二病に哲学っぽい味つけを加えると、さらにひどいことになるんよね。

ああいう小難しくて頭でっかちな内容は、小学生のうちから手を出すものではなかったし、手を出すとしても『ソフィーの世界』どまりの方がよかったと思います。
哲学史をひもといてると、女にもモテず、世間の波にも乗れず、欲求不満と孤独と高すぎるプライドで行き詰まってそんなことになったんじゃないの?的な人もいるじゃないですか。
でも子どもの頃は、そんな風に判断できず、素直に「昔のすごい人が言ってることだから」と思って、意味わからんのに必死でわかったふりをしようとしてた。

そんなもんより、『COSMOS』の自然科学路線の方をもっと伸ばした方がよかったよね。

だから私は、大人になってから理系の本ばかり読むのかもしれないと思いました。